レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/08/24
- 登録日時
- 2015/01/12 00:30
- 更新日時
- 2015/01/29 09:13
- 管理番号
- 6000019743
- 質問
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未解決
エスカレーターについて、片側通行になったのはなぜか、右をあけるか左をあけるかはどう決まっているのかと、いつからそうなったかがわかる本はあるか。
- 回答
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『謎山トキオの謎解き分析 右と左の50の謎』などの本や、読売新聞・朝日新聞の記事をご紹介した。
急ぐ人のために自然発生的にできた習慣で、東京では1990年前後、大阪では1970年前後からはじまったようだが、正確な起源等が書かれた資料は発見できず。
- 回答プロセス
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雑学(049)県民性(361)社会論(302)などの書架を探し、内容を確認する。
『かつて誰も調べなかった100の謎 ホリイのずんずん調査』(文藝春秋)では、エスカレーターの右をあけるか左をあけるかについて、10都道府県について調べた結果の記載があり。
『大阪学世相編』(経営書院)では右をあけるか左をあけるかが大阪と東京で違うということと、それについて東京のテレビ局が調べたところ、鉄道会社側が決めているわけではなく、乗客がそうしているからだという記載があり。
『謎山トキオの謎解き分析 右と左の50の謎』(日科技連出版社)では、エスカレーターが片側通行になった理由について、1989年9月2日の読売新聞の記事からの引用などがあり。右をあけるか左をあけるかについて、東京の地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅でエスカレータの片側に寄る習慣がはじまり、それ以後、マナーとして1990年代以降普及していったとしている。また、大阪のエスカレータの左立ちは阪急電車が梅田に3つの路線を走らせる新駅を完成させ、3階まで一気にあがるエスカレータを設置したところから始まり、その時右側に立って急ぐ人のために左をあけるというルールを作ったと記載があった。
読売新聞記事データベースで当該記事を確認したところ、「ちょっと気になる]東京マナー事情(2)エスカレーターの左右分離」(1989.09.02 東京朝刊)と判明。1989年当時、東京では乗ったらそのままの位置で立っており、歩く人はジグザグに歩いていたが、新御茶ノ水駅で急がない人は左、急ぐ人は右に寄るようになったなどの記載があり。「ロンドン方式」と記事内では呼ばれているが、ロンドンとはなぜか逆とのこと。
また「エコノ百景]右か左か、それが問題だ」(1996.09.09 東京朝刊)には、世界で最も古い歴史をもつロンドンの地下鉄では右に立って左を空け歩く人に譲るのが常識、大阪の私鉄、地下鉄はこれにならってか、東京よりもずっと前から左空けルールが一般的とあり。東京では1996年当時、駅改良でエスカレーターが目立って増えはじめ「自然発生的に片側を追い越す人に空けるようになったのも、この一、二年のこと」と記載があり。
朝日新聞記事データベースを調べると、「(勝手に関西世界遺産)エスカレーターの右よせ 井上章一 【大阪】」(2007年04月12日夕刊)に、大阪では右側にたって左側をあけるのが普通で、1970年の大阪万博でできたルール、その翌年に阪急梅田駅で「おいそぎの方は左側へ」とアナウンスしたのが最初、地下鉄御堂筋線では、もうすこし早くから定着していた、などの説があるとあり。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『かつて誰も調べなかった100の謎』堀井 憲一郎/著(文藝春秋)
- 『大阪学 世相編』大谷 晃一/著(経営書院)
- 『謎山トキオの謎解き分析』丸山 健夫/著(日科技連出版社)
- キーワード
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- エスカレーター(エスカレーター)
- 片側通行(カタガワツウコウ)
- マナー(マナー)
- 習慣(シュウカン)
- 雑学(ザツガク)
- 大阪(オオサカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000165966