レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/08/02
- 登録日時
- 2014/08/01 14:59
- 更新日時
- 2014/08/04 18:37
- 管理番号
- 063
- 質問
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解決
尼崎市域の旧村の鎮守社に祀られている祭神の名前や、社名の変遷などについて調べたい。
- 回答
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現在、旧大字(おおあざ、江戸時代の村)の多くに、村の鎮守である神社一社があり、そこに多数の祭神や摂社・末社が祀られています。これは、明治初期の政府による神道の組織的整備・体系化の結果です。
江戸時代の村の神社や祠は、各村が作成した「村明細帳」などに記録されています。そこには「牛頭(ごず)天王社」「大将軍社」「荒神社」「天神社」などといった、祭神の名を冠したさまざまな社が同じ村内に見られ、各地域に根付いていた多様な祭神への信仰の様子が反映していました。
明治維新後、国家神道を国民統合の精神的支柱と位置付ける政府は、こういった多様な神を祀る村の社を、記紀神話に登場する神々を祀る神道の体系に再編成します。その結果、従来の社名や祭神名がしばしば改称されました。現尼崎市域の例をあげると、「牛頭天王社」が「素盞嗚(須佐男、すさのお)神社」、「大将軍社」が「磐長姫(いわながひめ)神社」(生津、なまづ)、「荒神社」が「奥津彦神社」(田能、たの)、「天神社」が「吉備彦(きびひこ)神社」(金楽寺)などと改称されています。
日露戦争後の明治40年代には、村内各所に散在していた神祠・小社・屋敷神などが、大字に一社と設定された「村社」に合祀されていきました。明治39年(1906)に全国で19万社余り存在していた神社・社祠が、明治末年には11万社にまで統合されます。その結果、村社には多数の祭神・摂社・末社が祀られることになりました。
こういった変遷を、江戸時代の各村の「村明細帳」や、明治期の「神社明細帳」などの史料により調べることができます。
- 回答プロセス
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1 江戸時代の村の神社名・祭神などを記した史料
◆「村明細帳」
各村が領主に村の概要を報告するため作成した文書。
尼崎市域の村明細帳は、初期と後期にわけて『尼崎市史』第5巻と第6巻に収録されている。
また、尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』が、『尼崎市史』未収録の「村明細帳」を収録している。
2 明治初期の各村の神社名と祭神、明治40年代の統廃合の経過等を記した史料
◆「明治12年調尼崎関係神社明細帳」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第6巻第3号所収
兵庫県所蔵の明治12年調査「神社明細帳」のうち、尼崎関係部分を翻刻掲載したもの。
この神社明細帳は、明治12年6月28日付の内務省布達によって全国的に作成された。
明治40年代の神社・祭神統合の記録は、貼り紙の形で追記されている。
3 現在の尼崎市域の神社を一覧できる資料
◆兵庫県神道青年会尼崎市支部『尼崎神社あんない 市内六十六社のしおり』改訂版
市内各社の所在地・祭神・例祭日・神職及び、簡単な来歴などを紹介している。
◆兵庫県発行『兵庫県宗教法人名簿』
4年に1回発行される名簿
4 明治期の宗教政策と神社に関する研究文献
◆米地実『村落祭祀と国家統制』
- 事前調査事項
- NDC
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- 神衹・神道史 (172 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 法制史 (322 9版)
- 参考資料
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- 『尼崎市史』第5巻・第6巻 史料編(近世上・下)尼崎市 昭和49年・52年発行 (当館請求記号 219/A/ア-5・6)
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尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第14巻第3号(通巻42号、昭和60年3月)掲載
地域研究史料館「田能村・下食満村の村明細帳」 (逐次刊行物) -
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第6巻第3号(通巻18号、昭和52年3月)掲載
「明治12年調尼崎関係神社明細帳」 (逐次刊行物) - 『尼崎神社あんない 市内六十六社のしおり』改訂版 兵庫県神道青年会尼崎市支部 平成13年発行 (当館請求記号 175.1/A/ア)
- 『兵庫県宗教法人名簿』兵庫県発行 (逐次刊行物)
- 米地実『村落祭祀と国家統制』御茶の水書房 昭和52年発行 (当館請求記号 175.6/ヨ)
- キーワード
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- 尼崎市
- 祭神
- 神社
- 村社
- 神道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000157267