レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年7月17日
- 登録日時
- 2017/10/11 15:01
- 更新日時
- 2017/12/08 10:01
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-106
- 質問
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解決
京都洛北にある高野(たかの)川の水利権の争いについて知りたい。
- 回答
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高野川は,京都市左京区北東部の途中越(とちゅうごえ)付近の山中から南西に流れ,大原,八瀬(やせ),上高野地区を経て,出町柳(でまちやなぎ)で鴨川に合流する全長約17kmの河川です。江戸時代から,農業用水として沿岸の村々の貴重な水源でした。
高野川から農業用水をひく村は,東岸の上流から,高野・修学院(しゅうがくいん)・一乗寺(いちじょうじ)・田中と西岸の松ヶ崎・下鴨の六村でした。特に高野村にあった太田井堰からは太田川がひかれ,高野・修学院・一乗寺・田中の村々の耕作地を潤していました。
これらの村では,渇水のたびに利害が対立し,争論をひきおこしました。その原因の多くは,東岸の四村,高野・修学院・一乗寺・田中が太田井堰で水をせき止め,下流に水を流さないことや,それに困った西岸の松ヶ崎・下鴨の二村が井堰をくずしたり,川床を変えて新しい分水路を太田井堰のそばにつくったことだったといわれています。
- 回答プロセス
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●“高野川”をキーワードに地名辞典類で調べる【資料1・2】。
【資料1】原因や争論が起こった時期などについて記述あり。
【資料2】高野川用水争論について書き記された「上一乗寺共有文書」・「松ヶ崎立正会文庫文書」などの文書についても触れられている。
●高野川が主に流れている地域が,かつて“山城国愛宕(おたぎ)郡”で,現在は左京区であることから,左京区の史料,文書を中心に調べる【資料3】
太田井堰をめぐる用水争論の本文中に,次の文書での記述あり。
p287~288 「上一乗寺共有文書」太田井堰をめぐる田中・一乗寺村と松ヶ崎村の用水争論。
p289~290 「上一乗寺共有文書」一乗寺・田中村と松ヶ崎・下鴨村の用水争論が長期にわたる。
p290~291 「渡辺(昇)家文書」田中・一乗寺村が松ヶ崎・下鴨村へ分水する井堰の模様。
p291 「上一乗寺共有文書」太田井堰の修復について関係村が同意する。
p370~372 松ヶ崎村の展開の本文中に,「松ヶ崎立正会文書」太田井堰争論の推移。の記述あり。
●左京区の地誌や京都の歴史に関わる資料を確認する【資料4~7】
【資料4】p20~22 太田井堰がつくられた経緯や高野川の水争いについての記述あり。
p21 太田井堰と井出ヶ鼻井堰(太田井堰より前に作られた井堰)の写真あり。
p257~271 松ヶ崎の文書についてまとめられている。
p258 太田井堰争論の推移。
【資料5】p38 「松ヶ崎と水門のかかわり」に水争いについての記述あり。
【資料6】【資料7】 に太田井堰の近代(大正・昭和)についての記述あり。
●各地域の学校史を確認するが,水利権の争いについては記述はなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 9版)
- 日本 (291 9版)
- 衛生工学.都市工学 (518 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都大事典』(佐和 隆研/[ほか]編集 淡交社 1984)p591
- 【資料2】『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社 1979)p71
- 【資料3】『史料京都の歴史 8 左京区』(京都市/編 平凡社 1985)p287~291,371~372
- 【資料4】『松ヶ崎』(松ヶ崎を記録する会/編集 松ヶ崎立正会 2000)p20~22,256~271
- 【資料5】『松ケ崎井手ケ鼻水門竣工記念誌』(記念誌委員会/編 松ケ崎井手ケ鼻水門改修実行委員会 1989)p35~38
- 【資料6】『上高野史誌』(佐竹 弘至/著 みどり会 1980)p18
- 【資料7】『修学院史誌 明治百年記念』(修学院各種団体連絡会/編集 修学院各種団体連絡会 1968)p115
- キーワード
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- 高野川
- 左京区
- 洛北
- 愛宕郡
- 高野
- 修学院
- 一乗寺
- 田中
- 松ヶ崎
- 下鴨
- 太田井堰
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222953