レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月09日
- 登録日時
- 2016/02/13 19:25
- 更新日時
- 2016/02/24 11:11
- 管理番号
- 0000109314
- 質問
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解決
文久3年(1863)4月、山口市にある常栄寺の住職が長井雅楽(1819-1863)と交流があったために殺されたという話を聞いた。その旨が書かれた資料はあるか。
- 回答
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下記参考資料1~4を紹介。
・資料1
文久3年4月16日から5月19日までの政事堂日誌「尊攘日誌」の4月22日の箇所に、「常栄寺溟西堂於寺門外切殺され居候段、(略)」「此僧事、悪人長井右近・坪井九右衛門に徒党し(略)」の記述がある。
・資料2 (昭和7年刊行『増補訂正もりのしげり』の復刻)
「毛利氏史要年表」の文久3年4月22日の箇所に「祖冥西堂斬殺」とあり、「常栄寺僧祖冥西堂長井雅楽党ト目セラレ(略)」とある。
大正5年刊行の『稿本もりのしげり』が国立国会図書館によりデジタル化されており、次のとおり該当箇所をネット上で見ることができる。
『稿本もりのしげり』 時山弥八編 時山弥八 1916 p441
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/969141/232
・資料3
「常栄寺祖溟(ジョーエイジソメイ)」の箇所に、筑前の人で韶陽と号し、常栄寺住職にして藩主毛利敬親の側近に出入し信任があった、また国事に一見識を持し長井雅楽と肝胆相照すものがあったと云う、一部人士の為に俗論を説くと目され文久3年4月22日その門前にて暗殺に遭う、とある。
・資料4
13世祖溟和尚(韶陽祖溟)は国事に関し一見識を持ち長井雅楽と肝胆相照すものがあったといい、このため過激派に誤解され、文久3年4月23日、その門前において宮城彦助・遊佐小六のために暗殺されるに至った、とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 1 『山口市史 史料編近世2』 山口市編集 山口市 2013.3 当館請求記号:Y247/N 8 p325
- 2 『もりのしげり 増補訂正』 時山弥八著 マツノ書店 2015.3 Y215/P 5 p419
- 3 『近世防長人名辞典 増補』 吉田祥朔著 マツノ書店 1976. Y280/K 6 p133
- 4 『常栄寺史料』 常栄寺 1978.10 Y188/K 8 p3-4,12
- キーワード
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- 常栄寺 祖溟(ジョウエイジ ソメイ)
- 長井 雅楽(ナガイ ウタ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000188093