レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年11月01日
- 登録日時
- 2017/11/01 14:36
- 更新日時
- 2018/01/19 14:44
- 管理番号
- edo2017-06
- 質問
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解決
いわゆる「寛政三美人」は “両国米沢町高島屋のおひさ”、“浅草随身門脇難波屋のおきた”の他もう一人は誰か。
- 回答
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まず【資料1】『江戸東京学事典』を確認したところ、評判娘の項に「寛政の三美人とは、浅草随身門脇難波屋おきた、両国米沢町高島屋おひさ、芝神明前菊本のおはんの三人」とある。そこに参考文献として挙げられている【資料2】『繪本水茶屋風俗考』を確認すると『武江年表』(正編巻之七 斎藤月岑/著)を基に書かれたことがわかった。【資料3】『増訂武江年表 2 東洋文庫 118』で「浅草随神門前の茶店難波屋のおきた、薬研堀同高島のおひさ、芝神明前菊本のおはん、この三人美女の聞き有りて、陰晴をいとはず此の店に憩ふ人引きもきらず」という記述を確認した。
【資料4】『江戸学事典』も同様に寛政三美人として、おきた・おひさ・おはんの三人を挙げている。
一方、【資料5】『原色浮世絵大百科事典 第1巻 歴史』には、「寛政の三美人といえば歌麿のお北・お久・豊雛であった」とある。
【資料6】『数のつく日本語辞典』も「江戸三美人」の項で寛政三美人は同様の三人としている。
これらは喜田川歌麿の錦絵『当時三美人』(寛政5年頃)(備考※1)を基にしている。この錦絵は画中に「当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」の書き入れがある(書き入れがない版もある)。
また、【資料5】の別巻【資料7】『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品2 清長―歌麿』には、『当時三美人』の解説に「寛政の三美人といえば、この三人(おきた・おひさ・豊雛)をさすが、豊雛のかわりに菊本おはんを加えることもある」と書かれている。
【資料8】『別冊太陽 No.245 歌麿』も寛政の三美人と題し「三美人として多くの浮世絵師が筆を執ったのが、浅草寺境内・随身門わきの水茶屋『難波屋』の『おきた』、両国薬研堀米沢町の煎餅屋・高島長兵衛の娘『おひさ』、浄瑠璃・富本節の名取であった芸者『豊雛』の三人で、豊雛の代わりに芝神明前の水茶屋『菊本』の『お半』を加えることもある」と書かれている。
以上のように、『武江年表』を基に“菊本のおはん”とするものと、錦絵『当時三美人』を基に“富本 豊雛”するものとで現在出版されている資料の記述も異なり、混在している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 9版)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382 9版)
- 家族問題.男性.女性問題.老人問題 (367 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『江戸東京学事典』小木新造/他編 三省堂/発行 1991年 p.433(2913/11/91)
- 【資料2】『繪本水茶屋風俗考』佐藤要人/著 有光書房/発行 1977年 p.219(3849/23/77)
- 【資料3】『増訂武江年表 2 東洋文庫 118』斎藤月岑/著 金子光晴/校訂 平凡社/発行 1983年 p.19(2136/323/2)
- 【資料4】『江戸学事典』西山松之助/他編 弘文堂/発行 1984年 p.404(2136/356/84-S0)
- 【資料5】『原色浮世絵大百科事典 第1巻 歴史』日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1981年 p.77(7218/L160/1)
- 【資料6】『数のつく日本語辞典』森睦彦/著 東京堂出版/発行 1999年 p.99(0315/6/99)
- 【資料7】『原色浮世絵大百科事典 第7巻 作品2 清長―歌麿』山口桂三郎,浅野秀剛/執筆 日本浮世絵協会原色浮世絵大百科事典編集委員会/編 大修館書店/発行 1980年 p.96(7218/L160/7)
- 【資料8】『別冊太陽 No.245 歌麿』浅野秀剛/監修 平凡社/発行 p.32
- キーワード
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- 浮世絵
- 美人画
- 寛政三美人
- 江戸三美人
- 当時三美人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- ※1 "Three Beauties of the Present Day" http://www.mfa.org/collections/object/three-beauties-of-the-present-day-t%C3%B4ji-san-bijin-tomimoto-toyohina-naniwaya-kita-takashima-hisa-234047 (ボストン美術館 http://www.mfa.org/)(最終アクセス日:2017/11/1)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000224141