レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/08/10
- 登録日時
- 2017/03/18 00:30
- 更新日時
- 2017/03/22 18:25
- 管理番号
- 6000028962
- 質問
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解決
家紋について以下のことが知りたい
①本家と分家とでは同じ家紋を用いるのか
②家紋が途中でかわることはあるか
③家臣は主と同じ家紋を使うのか。
- 回答
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『国史大辞典13』(吉川弘文館)の「紋章」の項目には、
「日本の紋章の起源は十一世紀前半、公家の衣服・調度・牛車に各自が好みの文様を用いたのが、そのはじまりと考えられる。」「武家の家紋の起源は、鎌倉時代初期の旗指物(はたさしもの)の「しるし」にある。一族郎党が団結し、外敵に対して戦う場合に、一家・一党の主(あるじ)の所在を示し、求心的な団結の象徴ともなり、敵・味方を識別するしるしともなるものが必要であった。」これが江戸時代になると戦のための旗印は必要なくなり、服飾文様の意味が強くなり、時には替紋といって、伝統の家紋を使用することを憚って、その家に関係のない紋を個人的にあるいは女性専用に案出することもあった。さらには武家だけでなく経済力をもった町人や役者も用いるようになり、次第に一般庶民に普及し、替紋の増加につながったとの記述がある。
『日本紋章学』(人物往来社)によると、
p.36「元来、家紋は名字の目印として同族の間では同じ紋章を用いていたが、南北朝から足利市の時代になって、一門が相分かれて交戦するようになってきたので、同族間でも紋章を区別して混同しないようにしたので、紋章はこの時代から次第に種類を増していった。」
p.148 「家紋は名字や照合の目印として用いられたもので、一つの名字(称号)に対して、一つの家紋の使用を普通としているが、権門勢家から家紋を授与されたり、旧族の家名を相続したり、または名門と結婚してその家紋を譲り受けたり、他人の家紋と交換したり、あるいは、権威名望ある家紋を借用したり、はなはだしきにいたっては戦争の結果奪取したりするので、一つの名字(称号)の目印であるべき家紋も、A家からB家、B家からC家へという具合に移転する場合があったのである。」とあり、この移転を賜与、譲与、交換、僭用、奪取と分類している。
賜与については、p.157「諸大名の間でも、臣下に家紋を賜与する風習があり」、p.160「一門もしくは勲功の士で紋章を賜与された者以外は、主君と同じ紋章を用いることができなかった。もし臣下の紋章が主君と同じであった場合は、他の紋章に代えて用いたのであった。」ともある。
同書では、将軍家・諸大名の間の事例であるが、p.175に「定紋はその家の正嫡が継承するのが原則であり、二男や腹ちがいの者の家紋は、定紋と多少構造の違った紋章を用いるのが普通である。」とされ、p.176には萩の毛利氏と金沢の前田氏の本家と分家での家紋の区別が図示されている。
『日本家紋総覧』(コンパクト版 新人物往来社)p.80に「本家紋と分家紋」の項があり、「嫡子相続法からいえば男子正嫡をもって継承するのが定法であった。したがって二男以下また腹ちがいの者が分家する場合の定紋は出自を明らかにするためデザインを多少変えて表示した。」とされ、徳川氏、加賀の前田家の例が示されている。また「嫡子、次子、妻室と全く別個の家紋を用いた例外もあった」ともある。
- 回答プロセス
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『国史大辞典』を参照した後、『日本紋章学』を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 日本紋章学沼田 頼輔/著人物往来社
- 日本家紋総覧能坂 利雄/編新人物往来社
- 国史大辞典13国史大辞典編集委員会/編吉川弘文館
- キーワード
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- 家紋(カモン)
- 紋章(モンショウ)
- 家(イエ)
- 歴史(レキシ)
- 旗指物(ハタサシモノ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000212202