レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/13
- 登録日時
- 2015/11/29 00:30
- 更新日時
- 2015/12/01 19:13
- 管理番号
- 0000001351
- 質問
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解決
「明治忠臣蔵」「明治最後の仇討ち」と言われた、本多政均(ほんだまさちか)暗殺について載っている簡単な資料はないか。
- 回答
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・『加賀風雲録』に「執政本多政均暗殺と日本最後の仇討ち」として掲載ありました。
・金沢藩執政(藩臣最高職)本多政均の暗殺と本多家中の仇討をめぐる一連の資料310点を「本多政均関係文書」として所蔵しています。『石川県立図書館展示目録 第63回-第81回』の「第76回 金沢藩血の維新史 本多政均暗殺事件の周辺」にその一部を紹介しています。より詳しい目録は、石川県立図書館ホームページにてご確認ください。
・『加能郷土辞彙 改訂増補』に「本多家臣の復讐」「本多政均」「本多政均の暗殺」の項目があります。
「本多政均」の項目には「加賀藩の老臣本多家第11代。政和の二子で、天保9年5月8日に生まれた。(中略)安政3年11月政通卒して子がなかったから、12月28日弟政均その後を受けて5万石を領し、4年12月28日従5位下に叙し播磨守と称した。(中略)当時藩は時勢の推移に伴ひ、頗るに制度法規を改廃し、而して政均は12月以降執政となり、主として之に与つたが、政均の進歩主義は、一部守旧の忌む所となり、明治2年8月7日井口義平、山辺沖太郎2人の為に、二ノ丸殿中に刺殺させられた。」
「本多政均の暗殺」には「(1)暗殺の計画」「(2)暗殺の実行」「(3)本多家臣の綏撫」「(4)連累の処分」が記載され、暗殺犯、凶行時の様子、藩知事の対応、犯人の量刑等、事件の経過が記載されています。
「本多家臣の復讐」には「(1)藩士の結束」「(2)仇敵の所在」「(3)復讎決行」「(4)同士の服刑」として、仇討ちの経過の記述がありました。仇討ちの結末は「明治5年11月4日石川県刑獄寮は本多弥一以下の罪を処断したが、清水金三郎は啻に菅野輔吉の門前を警戒したに止り、未だ刀を抜かなかったから禁錮10年に処せられ、島田伴十郎と上田一二三とも亦未遂罪たるを以て禁錮3年とし、他の12人は皆自裁を命ぜられたが、子孫世襲の禄を享くるを許され、その遺骸は本多氏之を収めて、大乗寺なる故主本多政均の墓側に?め、碑を樹てて姓名と絶命の詞とを録した。蓋し、この挙は明治年間に於ける復讐史の最後を飾るもので、太政官が6年2月7日布達第37号により復讎を厳禁したのも、亦これがあった為であるといわれる。」というものでした。
・もうひとつの「明治忠臣蔵」というキーワードそのままの『明治忠臣蔵』という資料がありました。
- 回答プロセス
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当初、石川県出身で加賀藩の歴史に題材を採った作品が多い戸部新十郎の著作を希望され、自館OPACを検索。
同じく自館OPACで「本多政均」を検索すると、展示目録や関連小説がヒット。展示目録中に「本多政均関係文書」の資料が紹介されていたので、利用者に案内。
引き続き「石川県関係人物文献検索」で「本多政均」を検索すると、37件ヒット。石川県の歴史に関する基本的な事典『加能郷土辞彙 改訂増補』を紹介。
また、キーワードと同タイトルの『明治忠臣蔵』という資料があったので、あわせて提供。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 1 加賀風雲録 戸部/新十郎?著 新人物往来社 1997.7 K209.5/1001 220-239p
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2 石川県立図書館展示目録 第63回-第81回 石川県立図書館∥編 石川県立図書館 1989~1993 K068/60/63-81 第76回金沢藩血の維新史 本多政均暗殺事件の周辺 -
3 加能郷土辞彙 改訂増補 日置 謙∥編 北国新聞社 1979.6 K030/1 812-814p -
4 明治忠臣蔵 中村 彰彦∥著 双葉社 1995.12 K936/105
- キーワード
- 照会先
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- 加賀本多博物館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000184677