レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月24日
- 登録日時
- 2016/06/24 17:58
- 更新日時
- 2016/10/08 11:20
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2016-008
- 質問
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解決
東区朝日町にあり、森田資孝が開院した森田病院について知りたい。
- 回答
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森田病院は、大正6年に中区大津町に開設され、昭和3年に東区朝日町(現在の中区錦)に新築移転しました。移転した建築物は鈴木禎次が設計しており、6階建でX光線室や日光浴室がありました。外観写真や平面図も残されています。院長は森田資孝、福井富雄、福井良久が就き、昭和54(1979)年まではあったようです。その後、56(1981)年には当地は駐車場となっており、当地の森田病院は閉院したようです。
- 回答プロセス
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1.電話帳、住宅地図を調べました。
『電話番号表〈名古屋〉 明治四十二年五月三十一日改』
→掲載なし。
『名古屋電話番號表 大正10年6月10日開通』p.14
→森田資孝の掲載あり。森田病院の掲載なし。
『名古屋電話番號簿 昭和5年4月1日現在』p.452
→「森田病院 森田資孝 東、朝日、三ノ四」と掲載があり住所が判明。
『名古屋50音別電話帳 1974』p.1255
→掲載あり。住所が「錦三、17」に変更。
『[名古屋]職業別電話帳 1978上』p.41
→掲載あり。
『名古屋職業別電話帳 1982上』
→掲載なし。
町名の変遷を確認しました。
『なごやの町名』p.781
→東区朝日町は、昭和20(1945)年に中区朝日町となり、昭和41(1966)年に中区錦1-3丁目に町名が変遷したことが分かりました。
住宅地図を調べました。
『居住者全図 昭和4年』区画1
『居住者全図 昭和8年』区画1
→朝日町三丁目に「森田」とあり。
『名古屋市全住宅案内図帳 昭和30年版 中区』6図
→『居住者全図 昭和4年』区画1、『居住者全図 昭和8年』区画1の「森田」の位置に森田病院の掲載あり。
『ゼンリンの住宅地図[1979年-第6]名古屋市中区』23図
→錦三丁目に掲載あり。『名古屋市全住宅案内図帳 昭和30年版 中区』と位置は変更なし。町名変更のみで町内での移動はなかった模様。
『ゼンリンの住宅地図[1981-第6]名古屋市中区』23図
→該当の住所は「駐車場」に変更。
以上より、昭和5(1930)年以前に開院し、昭和54(1979)年から昭和56(1981)年の間に閉院したようです。
2.森田資孝について調べました。
1の調査より、多いときには電話番号が3本も引かれていたことが分かり、森田病院は大きな病院であったようです。森田資孝が地元の名士である可能性が高く、名古屋の人物が掲載されている資料も調べられる「なごやコレクション」を検索したところ下記の資料4点がヒットしました。
『大名古屋名鑑』p.300
『中京名鑑 昭和3年版』p.214
→大正6年中区大津町に森田病院を開設、朝日町に昭和3年に新築移転したことがわかりました。また、森田病院は6階建、X光線室や日光浴室があり、鈴木禎次の設計であったこともわかりました。
『愛知県名士鑑』p.444
『中京名士録』p.179
→上記2冊は、大正年間の発行であるため、朝日町の森田病院についての記述はありませんでした。
また、他の資料にも当たったところ、下記の資料2点にも森田病院について記述がありましたが、新しい情報は掲載されていませんでした。
『中京名鑑 昭和7年版』p.263
『中京名鑑 昭和11年版』p.341
3.鈴木禎次の作品が掲載されている資料を調べました。
『鈴木禎次及び同時代の建築家たち』p.10、24、29-30、66-67
→「森田医院」のキャプションで写真が掲載され、地下1階、地上6階建て、昭和3(1928)年竣工と説明があります。また、”名古屋の表現主義建築を代表する建築”との紹介があり、平面図も掲載されています。
4.病院や医師会についての資料を調べました。
『愛知県病院総覧』p.33
→住所は同じですが、開設者は福井良久、開設は昭和30年8月1日となっています。
『名古屋市医師会史』p.526
→大正6(1931)年3月10日に創立され、現在の位置に移転したのは昭和3(1928)年4月1日と記されています。
『病院要覧 1952年版』
→掲載あり。院長名は福井冨雄です。
『病院要覧 全国病院名簿』p.116
『病院要覧 1979年版』p.168
→上記2冊とも掲載あり。院長名は福井良久です。
『病院要覧 1983年版』
→掲載なし。
5.その他の資料です。
『大名古屋便覧 汎太平洋平和博覧会記念』p.169
→市内官公私立病院の項目に掲載がありました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 自然科学 (4)
- 参考資料
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- 『電話番号表〈名古屋〉 明治四十二年五月三十一日改』、名古屋郵便局、[1909]
- 『名古屋電話番號表 大正10年6月10日開通』、名古屋中央電話局、[1921] (p.14)
- 『名古屋電話番號簿 昭和5年4月1日現在』、名古屋中央電話局/[編]、名古屋中央電話局、1930 (p.452)
- 『名古屋50音別電話帳 1974』、日本電信電話公社東海電気通信局/編、日本電信電話公社東海電気通信局、1974 (p.1255)
- 『[名古屋]職業別電話帳 1978上』、日本電信電話公社東海電気通信局/編、日本電信電話公社東海電気通信局、1978 (p.41)
- 『名古屋職業別電話帳 1982上』、日本電信電話公社東海電気通信局/編、日本電信電話公社、1982
- 「なごやコレクション」(http://e-library2.gprime.jp/lib_city_nagoya/da/top)【サイト最終確認日:2016/06/24】
- 『大名古屋名鑑』、実業評論社総務局、1935 (p.300)
- 『中京名鑑 昭和3年版』、名古屋毎日新聞社、1928 (p.214)
- 『愛知県名士鑑』、名古屋新聞社、1925 (p.444)
- 『中京名士録』、名古屋毎日新聞社/編、名古屋毎日新聞社、1920 (p.179)
- 『鈴木禎次及び同時代の建築家たち 鈴木禎次生誕130年記念展』、瀬口哲夫/編著、20世紀の建築文化遺産展実行委員会/編著、20世紀の建築文化遺産展実行委員会、2001 (p.10、24、29-30、66-67、写真・平面図あり)
- 『愛知県病院総覧』、市民保健研究会/編、市民保健研究会、1960 (p.33)
- 『名古屋市医師会史』、名古屋市医師会/著、名古屋市医師会、1941 (p.526)
- 『病院要覧 全国病院名簿』、厚生省医務局総務課/編、医学書院、1964 (p.116)
- 『病院要覧 1979年版』、厚生省医務局総務課/編、医学書院、1979 (p.168)
- 『病院要覧 1983年版』、厚生省医務局総務課/編、医学書院、1983
- 『ゼンリンの住宅地図[1979年-第6]名古屋市中区』、[日本住宅地図出版/編]、日本住宅地図出版、1979 (23図)
- 『ゼンリンの住宅地図[1981-第6]名古屋市中区』、日本住宅地図出版/編、日本住宅地図出版、1981 (23図)
- 『中京名鑑 昭和7年版』、名古屋毎日新聞社/編、名古屋毎日新聞社、1932 (p.263)
- 『中京名鑑 昭和11年版』、名古屋毎日新聞社/編、名古屋毎日新聞社、1936 (p.341)
- 『居住者全図 昭和4年』 (区画1)
- 『居住者全図 昭和8年』 (区画1)
- 『名古屋市全住宅案内図帳 昭和30年版 中区』 (6図)
- 『なごやの町名』、名古屋市計画局/[編]、名古屋市計画局、1992 (p.781)
- 『病院要覧 1952年版』、医学書院、1952 (名古屋大学附属図書館所蔵資料)
- 『大名古屋便覧 汎太平洋平和博覧会記念』、江崎浮山/編、大名古屋便覧発行所、1937 (p.169)
- キーワード
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- 森田病院
- 森田資孝
- 鈴木禎次
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000193872