(雑誌記事)
1.『東京電機大学総合文化研究(9)」(東京電機大学総合文化研究 2011-12)p.21-26
勝又 洋子「ヴェネツィアの仮面カーニヴァルの成立」
中世ヴェネツィア社会を背景に成立し、展開した仮面カーニヴァルの近代的な意味と役割について考察しています。
2.『紫明 (14)』(紫明の会 2004-03)p.36-41,
勝又 洋子「ヴェネツィアの仮面カーニヴァル (特集 仮面) 」(請求記号)P70/44N
(図書)
2の記事は下記図書の記事が元になっています。
3.『仮面:そのパワーとメッセージ』(佐原真/監修 里文出版 2002.4)
勝又 洋子「ヴェネツィア-華麗なる仮面の祝祭」(請求記号)386.8/128N
4.『イタリア・フェスタ紀行』(山田和子/文・写真 平凡社 2000.7)
p.10-17「仮装カーニヴァル ヴェネツィア」の項目に説明があります。
「ヴェネツィアのカーニヴァルは、マラケラと呼ばれる精緻に考案された仮面を付け、衣装を凝らした衣装を着て、狭いヴェネツィアの街を無言で練り歩く仮装祭り(中略)シナリオもなければ音楽もない祝祭ですが、偶然性と意外性に溢れ、街全体がさながら一つの大きな劇場と化」すとあります。
ヴェネツィアの仮面カーニヴァルの謂われについても記述があります。
(概略)衰退が始まった18世紀のヴェネツィアは、反宗教改革後の画一的な偽善と統制によって社会全体が息苦しくなり、そんな中少しの中でも生き抜きをして楽しむ祭りが貴族・庶民にとっても必要だった。仮面をつけると誰が誰かわからなくなり、仮装によって身分を隠し、世俗の楽しみを思い切り追求した。
ヴェネツィアのカーニヴァルはヴェネツィア共和国の崩壊とともに影をひそめていたが、1980年代に復活した。観光都市ヴェネツィアでも冬は観光客の足が遠のくので、そのため市が中心になって始めた仮装カーニヴァルが大ヒットし、市の財政の一役を買っている。
5.『図説ヴェネツィア:「水の都」歴史散歩』(ルカ・コルフェライ/著 河出書房新社 1996.1)
p.117にカルネヴァーレの写真説明があります。
「カルネヴァーレ(謝肉祭)はもともと農業・豊穣にまつわるキリスト教以前の起源の古い祭りで、先祖信仰にもかかわりをもつ。カルネヴァーレの特徴である奔放さと仮装は、このような起源からきているという。(略)ヴェネツィアのカルネヴァーレの特徴は、国の力・民の力を内外に誇示する市民的性格とスペクタクル性が強いことである。これは自由を重んじ快楽を好むヴェネツィアの精神にも合致した祝祭であった。
時代の流れとともにカルネヴァーレの期間はどんどん長くなり、冬中続くまでになった。(略)カルネヴァーレは次第ににぼんでいったが、1970年代末に自然発生的に復活した。最近は観光化しつつある。」
6.『ヴェネツィア 上』(クリストファー・ヒバート/著 原書房 1997.5)
p.254-264「第11章 一八世紀のヴェネツィア」で謝肉祭の描写が詳しく書かれています。
7.『ヴェネツィア 下』(クリストファー・ヒバート/著 原書房 1997.5)
p.316 上巻 第11章の補足で「謝肉祭」についての説明があります。
「謝肉祭は、週末を過ごすために手製の衣装を着て本土からヴェネツィアへ来た若者たちによって、一九七〇年代に復活した。三年間開催されて成功をおさめたのちに謝肉祭は市当局の管理下におかれ、毎年二月の一週間は旅行者にとって重要な呼び物となっており、告解火曜日のサン・マルコ広場での舞踏会で終わる。(後略)
8.『ヴェネツィアの歴史:共和国の残照』(刀水歴史全書 永井三明/著 刀水書房 2004.5)
p.220-227「カーニヴァルその他の催し」の項目に、18世紀のカーニヴァルの描写が詳しく書かれています。
9.『都市ヴェネツィア:歴史紀行』(F.ブローデル/著 岩波書店 1990.3)
p.108-111 18世紀のカーニヴァルの描写が書かれています。
この他カーニバルについての説明は下記資料に記載されています。ヴェネツィア限定ではなく、一般的な説明です。
10.『地中海の暦と祭り』(地中海学会/編 刀水書房 2002.6)
p.156-161「四句節とカーニバル」
11.『祭りのディスクール:民衆文化と芸術の接点』(倉智恒夫/[ほか]編 多賀出版 1993.1)
p.146-150「謝肉祭」
12.『カーニバル:その歴史的・文化的考察』(フリオ・カロ・バロッハ/[著] 法政大学出版局 1987.6)
「第1章カーニバルの重要性」、「第3章カーニバル特有の行為」などの記事があります。事例は主にスペインの祭り。