レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/12/01
- 登録日時
- 2014/03/30 00:30
- 更新日時
- 2014/05/09 15:25
- 管理番号
- 北方 13-0235
- 質問
-
解決
札幌市円山の隣にある荒井山について
明治30年代頃に何という地だったか。また、荒井という名前は当時の地主の名前から付いたといわれているが、それ以外の由来はないか
- 回答
-
載っている地名辞典類はなし。
『札幌地名考 下』(資料3) p.53に荒井保吉の所有地であるために名付けられた旨の記述あり。
札幌の市史等では山の名称についての記述はなかった。
「荒井山」で資料検索したところ、その地域の荒井町(町内会)の歴史をまとめた資料あり。
『荒井山のあゆみ』(資料1)
p.22~23:
荒井山を含めた地域はかつて「十二軒」と言われ、明治4年開拓使が十二軒川附近の山麗に移住させた十二戸の数がそのままの地名となった。
昭和18年にこの十二軒と十二軒沢の地域が「宮の森」と昭和18年5月に改称された。
昭和35年、町内会の名称が荒井山振興会と改称した、荒井山町は正式名称ではないが、使用されており、その由来は山の所有者荒井保吉の名を取っている。
この地域はかつての琴似村、琴似町なので琴似町史等を調査したが、山の地名の由来については記述なし。
宮の森の地域の歴史の資料を調査したところ、『郷土誌 宮の森』(資料5)あり。
p.22,34に荒井山地区はかつて十二軒沢であったこと、土地を所有していた荒井保吉にちなんで荒井山と呼ばれていたことが書かれている。
荒井保吉は明治29年に来道して、同32年に荒井病院を開業した人物。
荒井山と呼ばれたのは早くても明治30年代以降だが、いつ頃から呼ばれていたのかは、上記の資料にはなし。
明治30年代頃の山の名前について書かれている資料、及び荒井保吉以外の山名の由来について記述している資料は発見できなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 7版)
- 参考資料
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- 1 荒井山のあゆみ 荒井山町内会∥編 荒井山町内会 1974.4 215.61/A p.22~23
- 2 [荒井山関係資料綴] [出版社不明] [200-] P291.561/A
- 3 札幌地名考 下 札幌市教育委員会∥編 太陽 1983.12 291.034/SA/2 p.53
- 4 北海道人名辞書 金子 信尚∥著 北海民論社 1923 281.03/KA p.139
- 5 宮の森 札幌市立宮の森中学校∥[編] 札幌市宮の森中学校開校5周年記念事業協賛会 1990.10 376.3/MI p.22,34~35
- 1 角川日本地名大辞典 1-[1] 北海道 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1987.10 291.03/HO/1-1
- 2 日本歴史地名大系 1 北海道の地名 平凡社 2003.10 291.03/HO/イ
- 3 北海道の地名 山田 秀三∥著 北海道新聞社 1984.10 291.034/Y
- 4 琴似町史 札幌市史編集委員会∥編 札幌市 1956 215.61/SA 記述なし
- 5 円山百年史 円山百年史編纂委員会∥編 円山百年史編纂協賛会 1977 215.61/MA/イ 記述なし
- 6 琴似屯田百年史 琴似屯田百年史編纂委員会∥編 琴似屯田百年記念事業期成会 1974 215.61/KO 記述なし
- 7 札幌市史 [第1] 政治行政篇 札幌市史編集委員会∥編 札幌市 1953 215.61/SA/1 記述なし
- 8 札幌市史 2 産業経済篇 附自然環境篇 札幌市∥編 札幌市 1958 215.61/SA/2 記述なし
- キーワード
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- 荒井山
- 札幌
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000151537