レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月12日
- 登録日時
- 2016/12/10 12:17
- 更新日時
- 2018/07/22 15:10
- 管理番号
- 千葉中央087
- 質問
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未解決
1945(昭和20)年の東京大空襲で、母の通っていた学校が焼けてしまい、卒業できなかったらしい。手作りの卒業証書をプレゼントしたいが、学校の名前がわからない。
- 回答
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「大妻第二技芸学校」もしくは「愛国夜間女学校」ではないか。
※後日、質問者から連絡をいただく。「千代田区立図書館でさらに調べたところ、愛国夜間女学校は終戦の5年ほど前に閉校していたことがわかった」とのこと。大妻第二技芸学校の可能性を含め、また一から調べなおしている由。
- 回答プロセス
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1. インタビュー
お母様は、「麹町にあった」「女学校」「夜間に通い、昼間は家政婦として働いていた」「職業訓練的な内容の授業」「空襲で校舎は焼けてしまった」とおっしゃっていたとのこと。
2. 「教育史」「東京大空襲」について調査
まず「教育史」と「東京大空襲」をキーワードに所蔵資料を調べたが手がかり得られず。
3. 「女学校」「実業学校」について調査
「女学校」をキーワードに調査。
『女学校と女学生』(稲垣 恭子/著 中央公論新社 2007.2)を得る。
戦前の女子教育の課程について、次のような記述があった。
「尋常小学校を卒業してから進学する経路としては、高等女学校以外にも教員養成を目的とした女子師範学校や農業、工業、商業等の職業・技術教育を行う実業学校があった」(P5)。
→ご記憶に最も近い教育機関と思われたため、「実業学校」に範囲を限定し調査することにした。
(1) 「大妻第二技芸学校」の情報
「女子 実業学校」で国会図書館サーチを検索。
国会図書館デジタルコレクションにて『夜間実業教育』(文部省実業学務局,文部省実業学務局/編 1935)を発見。
麹町の住所とともに「大妻技芸学校本科第二部」の情報が記載されていた(P141)。
→大妻女子大学のサイトで沿革(http://www.otsuma.jp/introduction/history)を確認したところ、「大妻技芸学校本科第二部」は、1939年に「大妻第二技芸学校」と改称していることもわかった。また、1946年に「大妻技芸学校・大妻第二技芸学校を廃止し、大妻高等女学校・大妻学院高等女学校(新設-夜間)に併合改組」した、という記述もあった。
→さらに、大妻中学高等学校のサイトで沿革(http://www.otsuma.ed.jp/top/about/history.html)を確認したところ、1943年に「『大妻技芸学校』を『大妻高等女学校』に併合」した、という記述があり、また1945年に「東京大空襲により木造校舎全部、鉄筋校舎1、2階の一部を残し消失」した、という記述もあった。
(2) 「愛国夜間女学校」の情報
同様に、デジタルコレクションにて『最新東京女子学校案内』(芳進堂編輯部/編 1935)を発見。
麹町の住所とともに「愛国夜間女学校」の情報が記載されていた(P148, 149)。
→その後空襲までに「愛国夜間女学校」がどうなったか確認できないかと考え、『愛国・国防婦人運動資料集 8』(日本図書センター 1996)などを見た。しかし手がかりは得られなかった。
ただし、CiNii で清水美知子「愛国婦人会の<女中>をめぐる社会事業」(『研究紀要 2』(関西国際大学 2001年3月)所収 P97-P112)という論文が公開されており(http://ci.nii.ac.jp/naid/110006424607)、「愛国夜間女学校」についての概要や創立の社会的背景を確認することはできる。
4. 「実科高等女学校」について調査
『東京都教育史資料大系』及び『東京都教育史資料総覧』の各叢書を確認。
→『東京都教育史資料総覧 第3巻』(東京都立教育研究所/編集 東京都立教育研究所 1993)所収の「東京府学事年報 昭和16年(1941年)」(P417-P420)により、当時の東京府行政が、学校を以下の12に大別していたことがわかった。
(1) 国民学校、(2) 師範学校、(3) 中学校、(4) 高等女学校、(5) 実科高等女学校、(6) 実業学校、(7) 青年学校、(8) 青年学校教員養成所、(9) 各種学校、(10) 大学、(11) 専門学校、(12) 実業専門学校。
→記載内容から、家政学的な教育を行っていた可能性ありと推測される「実科高等女学校」について調べることにした。
→しかし、コトバンク『デジタル大辞泉』に、「昭和18年(1943)まで存続」とあった。空襲前に(少なくとも名称としては)なくなっているようなので、調査を中止した。
5. 「夜間中等学校」について調査
Wikipedia 「高等女学校」のページを見ると、1943(昭和18)年に「夜間高等女学校の設置を認める」という文言があったため、「夜間(高等)女学校」をキーワードに調査。
→CiNii にて、水野真知子「女子教育史における夜間女学校」(『日本の教育史学 : 教育史学会紀要 35』(教育史学会 1992年10月)所収 P90-P106)という論文が公開されているのを発見(http://ci.nii.ac.jp/naid/110009800744)。
結部に、「『夜間中等学校台帳(女子)』(1943-1946)には、恵星高等女学校・大妻学院高等女学校・諏訪山高等女学校の他、仙台市立昭和高等女学校・大阪市立南第二高等女学校・尼崎市立第二高等女学校・岡山県立操山高等女学校が記載されている」という記述があった(P103)。
→『夜間中等学校台帳(女子)』は国公立文書館デジタルアーカイブ(https://www.digital.archives.go.jp/)で閲覧可能。確認したところ、「大妻学院高等女学校」のみが東京の学校だった。
6. 結論
3. 及び5. の調査を考え合わせると、お探しの学校は「大妻第二技芸学校(大妻高等女学校)」もしくは「愛国夜間女学校」である可能性が高いように思われる。
しかし、そもそもお探しの学校が「実業学校」ないし「夜間中等学校」ではない可能性もあり、確証は得られなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376 9版)
- 家族問題.男性.女性問題.老人問題 (367 9版)
- 参考資料
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稲垣恭子 著 , 稲垣, 恭子, 1956-. 女学校と女学生 : 教養・たしなみ・モダン文化. 中央公論新社, 2007. (中公新書)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008494557-00 , ISBN 9784121018847 -
千野, 陽一, 1931-. 愛国・国防婦人運動資料集 8 (大日本婦人会創業誌・決戦下に於ける大日本婦人会の使命). 日本図書センター, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002518433-00 , ISBN 4820557211 -
文部省実業学務局 , 文部省実業学務局 編. 夜間実業教育. 全国夜間実業学校聯合会, 1935.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001721474-00 -
芳進堂 , 芳進堂編輯部 編. 最新東京女子学校案内. 武田芳進堂, 1935.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001956058-00 - 東京都立教育研究所 編 , 東京都立教育研究所. 東京都教育史資料総覧 第1巻-第4巻 (東京都公文書館所蔵文書目録). 東京都立教育研究所, 1991-1994.
- 東京都立教育研究所. 東京教育史資料大系 第1巻-第10巻. 東京都立教育研究所, 1971-1974.
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稲垣恭子 著 , 稲垣, 恭子, 1956-. 女学校と女学生 : 教養・たしなみ・モダン文化. 中央公論新社, 2007. (中公新書)
- キーワード
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- 女学校
- 実業学校
- 東京大空襲 (1945)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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関連サイト最終確認日:2017年1月28日
※「愛国婦人会の<女中>をめぐる社会事業」及び「女子教育史における夜間女学校」の執筆者である水野真知子様よりご自身の関連著作についてご教示いただきました。
『高等女学校の研究 : 女子教育改革史の視座から』 下 (野間教育研究所紀要 ; 第48集、野間教育研究所、2009.10)の「夜間女学校の設立-女子苦学の成立」(P222~263)より、夜間女学校の実態をより詳細に知ることができました。(2017.7.22追記)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000201529