レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年11月11日
- 登録日時
- 2017/12/11 14:59
- 更新日時
- 2017/12/12 15:54
- 管理番号
- いわき総合-地域527
- 質問
-
解決
「磐城訓盲院」の創立について、また「磐城訓盲院」が「平盲学校」に校名が変更された経緯について教えてほしい。
- 回答
-
『創立65周年,創立20周年記念誌』のp14~p16に開院から市立移管までが記されている。
一開院の中で、「明治39年11月23日に、日露戦争に大勝して、国民の興奮さめやらぬ明治39年、その戦捷と、大正天皇が皇太子時代、東北地方行啓の際、当地御通過を記念して、福島県教育会石城会が石城郡役所内に磐城訓盲院を開設したこと、生徒は三十余名、鍼按術に普通学科を加味した職業教育を施したこと、昭和19年4月1日に平市に移管されて平市立盲学校と改称されたことが、時系列に記されている。
「この移管が実現するためには、当時の校長を先頭に学校同窓会が一丸となって平市に猛運動を展開したのである。」と当時の学校職員(荒木榛一氏)が随想の中で記しており、「もし私立のままであったら、その後戦災のため一夜にして校舎教具のいっさいが烏有に帰してしまった後は、そのまま消滅していたにちがいないと」も記している。
また、「堂の前校舎 三 市立移管」と題して、まとめられた内容に「昭和19年篠山廉校長を先頭に、同窓会が一丸となっての陳情が実を結び磐城訓盲院は平市に移管され、平盲学校と改称されたが、これが本校の歴史上、いかに重要なできごとであったかは、盲学校元教諭、荒木榛一先生が寄せられた一文によって明白なところである。」とも記述があった。
- 回答プロセス
-
『福島県特殊教育史』『福島県立平盲学校創立65周年福島県立平聾学校創立20周年記念誌』にあたり、関連する記述を見つけた。
平盲学校は、昭和20年3月10日に空襲で校舎、寄宿舎、設備一切が烏有に帰すとあり、その後、旧藤田女学校跡を仮校舎として授業を再開したとある。
昭和23年4月1日には、教育制度改正に伴い県に移管され県立福島盲聾学校平分校となる。昭和28年4月1日には独立校となり、県立平盲聾学校と改称。昭和35年4月1日に、学則改正により平盲学校ならびに平聾学校となる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 障害児教育[特別支援教育] (378)
- 参考資料
-
- 平盲聾学校記念誌編集係編、創立65周年,創立20周年記念誌、平盲聾学校、1970
-
海野昇雄 著 , 海野, 昇雄. 福島県特殊教育史. 福島県特殊教育史出版後援会, 1975.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077810757-00 -
福島県教育会石城部会/編. 石城郡教育事蹟. 福島県教育会石城部会, 1912.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010461983-00
- キーワード
-
- いわき市-特殊教育 石城郡-特殊教育 平市立盲学校 磐城訓盲院
- 障害児教育
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226216