レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年06月30日
- 登録日時
- 2017/06/30 14:43
- 更新日時
- 2017/06/30 14:46
- 管理番号
- いわき総合-地域503
- 質問
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未解決
『泉の風土と歴史』(岡部泰寿 1983)P12、『磐城市の歴史』(高萩精玄 1966)P12には、「富ヶ浦」という呼称が出てくるが、現在のいわき市小名浜付近の町名、字名には存在しないようだ。この名の由来や出典などについて記された資料はあるか?
- 回答
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質問にある『泉の風土と歴史』には、現在の釜戸川(旧名 八帆入川 やほいりがわ)沿い、泉町下川に津(港)が開かれ、中世期には大変賑わっていたこと、この湾は「富ヶ浦」と称したこと、などが書かれています。
以下の資料でも、「富ヶ浦」と呼ばれたあたりは、中世期にはとても栄えた場所で港があった、という記述が確認できましたが、「富ヶ浦」の由来などについて記された資料は確認できませんでした。
・『滝尻城跡A 中世城館跡の調査』(いわき市教育文化事業団 1994)
「2 滝尻城の時代背景について」のP17,19に、富ヶ浦と呼ばれていた辺りは、中世期には多数の船舶が往来し、宿を形成し、流通の拠点だったことなどについて記述あり。
・「中国古銭出土をめぐる下川港の史的雑考 織内英胤」(『いわき地方史研究 創刊号』P20~)
・『福島の歴史地理研究』(鈴木貞夫 1992)P66
・『藤原川流域紀行』(いわき地域学会出版部 1991)
P168-171「八帆入川の宋銭」
- 回答プロセス
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1.資料を調査
上記回答のとおり。
以下の資料についても調査するが、地名由来などは分からなかった。
・『磐城市郷土誌資料集』(K/210.1-1/イ)
P16に小名浜町の町名由来について「富ガ浦、里見浦の荘、或は女浜と唱えられていたが、後小名浜と改められ…」とあった。
・『地名の変化にみる、いわきの近代化』(K/291/チ)
・『絵はがきの中の「いわき」』(K/210.6-1/イ)
・『ふるさといわき抄』(K/291/タ)
・『日本歴史地名大系7 福島県の地名』(K/291/ニ)
・『下川郷土史』(K/210.1-1/シ)
・『ふるさと下川を知ろう』(K/210.1-1/シ)
・『石城郡町村史』(K/210.1-1/モ)
・『みちのくいわき ふるさと発見』(K/210.1-1/ヒ)
・「磐城風土記」(『岩磐史料叢書 下』所収)(K/210.0-0/ガ)
・『陸奥国磐城名勝略記』(K/291/ナ)
・『いわき市史』各巻 など
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『泉の風土と歴史』[K/210.1-1/オ・1112026081]
- 【資料②】『磐城市の歴史』[K/210.1-1/タ・1110100086]
- 【資料③】『滝尻城跡A』[K/210.2-1/イ・1110044094]
- 【資料④】『いわき地方史研究 創刊号』[K/210.0-1/イ・1112063399]
- 【資料⑤】『福島の歴史地理研究』[K/291/ス・1110092853]
- 【資料⑥】『藤原川流域紀行』[K/291/フ・1110093448]
- キーワード
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- 富ヶ浦 とみがうら
- いわき 地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000218122