レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月19日
- 登録日時
- 2012/10/25 18:11
- 更新日時
- 2017/12/27 11:52
- 管理番号
- いわき総合-地域63
- 質問
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解決
戊辰戦争の頃、千葉県出身でいわきに移住してきた「斉藤竜安(龍安)」という医師の事跡と、竜安について記されている資料を知りたい
- 回答
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『いわき市史 第6巻』(P137~)によると、斉藤竜安は戊辰戦争の際、西軍の軍医として軍医頭の関寛斎らとともに平の長橋町性源寺に設けられた臨時病院(奥羽出張病院)に勤務している。その後、明治6年には磐前県病院に勤務。また、明治26年に発足した磐城衛生会の会長や、明治39年には石城郡医師会の発起人となっている。大正3年没。
『福島県医師会史』にも記述があり、「資料編」のP467とP598には略歴が掲載されている。
『福島県医襍録』(国会図書館デジタルコレクション http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/833380)P300には詳細な記述があった。これによると明治19年4月に岩手県飯岡病院長を退職し、平町に永住、開業したとある。
『関寛斎 最後の蘭医』(P78)にも記述があり、性源寺に竜安の墓があることがわかる。
『寛斎日記 奥羽出張病院日記を中心として』にも、竜安の名前が随所に確認できる。
また参考までに、当時の地方紙「いはき」の明治40年8月25日に平町医師が紹介されている記事が あり、そこに竜安の名前があった。同明治41年1月1日にもあった。
- 回答プロセス
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1.資料を調査
上記のとおり
紳士録なども確認したが確認できなかった。
また、未登録資料の『磐城平町案内』(大正1年)のP57にも平町の医院として「齋藤医院 院主齋藤龍安女婿同苗栄吉氏にして古鍛冶町にあり電話236番」と紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 医師
- 戊辰戦争
- 関寛斎
- 斉藤竜安
- 斉藤龍安
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000112986