レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年09月18日
- 登録日時
- 2014/10/01 17:34
- 更新日時
- 2014/10/02 15:51
- 管理番号
- いわき総合-地域269
- 質問
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解決
戊辰戦争で因州藩の兵士が出兵したが、討ち死にして磐城に葬られているという記録があるか。
- 回答
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以下の資料に記述がありました。
・「寛斎日記ー奥羽出張病院日記を中心として」斉藤省三、白里研究グループ編 陸別町教育委員会 1982 K/911.5/セ
・「王政復古の礎」猪狩利夫著 猪狩利夫 1999 K/210.5/イ
・「磐城三藩 明治戊辰戦争余聞」斎藤笹舟著 福島県相馬中村東海岸郷土史蹟研究会 1940 K210.6/1/サ
・「磐城戊辰史」本多忠緯 高萩精玄共著 明治百年記念事業磐城推進委員会 1968 K/210.6/1/イ
- 回答プロセス
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【資料1】「いわき市史 第2巻 近世」には、該当する記述はなかった。
【資料2】「磐城三藩 明治戊辰戦争余聞」斎藤笹舟著 福島県相馬中村東海岸郷土史蹟研究会 1940 K210.6/1/サ によると、侵攻してきた西軍に、因州藩士も加わっていたこと(P20、48)。更に、戦死者の氏名、役割、戦死の状況、享年、戒名等が記載されている(P65、66、68)。
【資料3】「磐城戊辰史」本多忠緯 高萩精玄共著 明治百年記念事業磐城推進委員会 1968 K/210.6/1/イ には、 “余禄”(P119~126)中に、寺院別に各討死者名の記載があり、その中に因州藩士名も見られる。藩名、戦死した場所、享年等が記載されている。
【資料4】「王政復古の礎」猪狩利夫著 猪狩利夫 1999 K/210.5/イ に、三、奥羽出張病院と頭取関寛斎 として、読み下した奥羽出張病院日記が掲載されており、病院の記録の中に因州藩士名を確認することができる。
【資料5】「寛斎日記―奥羽出張病院日記を中心として」斉藤昭三、白里研究グループ編 陸別町教育委員会 1982 K/911.5/セ には、活字になった奥羽出張病院日記が掲載されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 中国地方 (217)
- 参考資料
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関, 寛斎, 1830-1912. 寛斎日記 : 奥羽出張病院日記を中心として 陸別町郷土資料. 陸別町教育委員会, 1982.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001675533-00 -
猪狩 利夫/著. 王政復古の礎. 猪狩利夫, 1999.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010517833-00 -
斎藤笹舟 著 , 斎藤, 笹舟. 磐城三藩明治戊辰戦争余聞. 東海岸郷土史蹟研究会, 1940.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000666316-00 -
明治百年記念事業磐城推進委員会 編. 磐城戊辰史. 明治百年記念事業磐城推進委員会, 1968.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001210071-00
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関, 寛斎, 1830-1912. 寛斎日記 : 奥羽出張病院日記を中心として 陸別町郷土資料. 陸別町教育委員会, 1982.
- キーワード
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- 戊辰戦争
- 因州藩士
- 磐城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000160421