レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年08月17日
- 登録日時
- 2014/08/02 14:30
- 更新日時
- 2014/08/02 14:32
- 管理番号
- いわき総合-地域243
- 質問
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解決
勿来の関の入口にある「筆塚」について調べています。なぜそこに存在しているのか知りたい。
- 回答
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『いわき民報 昭和53年4月12日』の記事に「荒川華関(あらかわかかん)翁勿来の関に“筆塚” 大平華泉氏・念願の建設」の記事がありました。また、福島民報、福島民友にも同様の記事がありました。
筆塚は、いわき市鹿島町出身の水墨画家・荒川華関氏の遺徳を伝えるため、愛弟子の大平華泉氏が中心となって建設しました。筆塚の除幕式は、荒川華関氏の三十七回忌を兼ねて昭和53年4月18日に行われています。
当館所蔵の『荒川華関遺墨集』p4に、筆塚除幕式の写真があり、p84に「荒川華関翁筆塚を建立し先生の遺徳を偲びました。」と書かれています。同資料には、「華関先生の雅号の由来は勿来関の桜花を華にたとえ」とあり、また、勿来美術館で作品を所蔵していたようで、ここからゆかりの地として勿来の関に筆塚が建立されたのではないかと思われます。
さらに、筆塚建立を機に発刊された『華関詩鈔』が当館にあり、73p「追憶」に「今回の筆塚建立もこの一端の外ならず」との記載もありました。
なお、勿来関文学歴史館から碑面の文字を翻した資料をいただきました。碑の表面には、大平華泉氏の筆による「筆塚」の文字が、背面には、「荒川華関先生略歴」と筆塚建立の協賛者18名の名前が書かれています。
- 回答プロセス
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1.当館所蔵資料で調査
【資料①】『いわき民報・縮刷版 昭和53年4月号』p118
4月12日 10面「勿来の関に“筆塚” 大平華泉氏・念願の建設」
【資料②】『福島民報 昭和53年4月22日 13面』
「門弟ら遺業しのぶ 墨絵の荒川翁筆塚除幕式」
記事によると、筆塚の重さは二・六トンもある鮫川の自然石を使用し、碑の筆は、大平華泉氏が執ったとある。
【資料③】『福島民友 昭和53年4月12日 11面』
「荒川華関翁の除幕式 18日に勿来の関荘で」
【資料④】『福島民友 昭和53年4月20日 13面』
「荒川画伯の功績偲ぶ 勿来の関で筆塚除幕式」
【資料⑤】『荒川華関遺墨集』
【資料⑥】『華関詩鈔』
筆塚建立を機に発刊された荒川華関の漢詩集。荒川華関の略歴や写真有。
2.勿来関文学歴史館に照会
碑面の文字を翻した資料をいただきました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 9版)
- 漢詩文.日本漢文学 (919 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『いわき民報・縮刷版 昭和53年4月号』 K/071/イ-28 1111144919
- 【資料②】『福島民報 昭和53年4月22日 13面』
- 【資料③】『福島民友 昭和53年4月12日 11面』
- 【資料④】『福島民友 昭和53年4月20日 13面』
- 【資料⑤】『荒川華関遺墨集』 白龍会 昭和55年1月 K/721/ア 1110087788
- 【資料⑥】『華関詩鈔』 大平華泉編著 昭和53年2月 K/919/ア 1110081146
- キーワード
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- 筆塚
- 勿来の関
- 荒川華関
- 大平華泉
- 照会先
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- 勿来関文学歴史館(0246-65-6166)
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000157368