レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/2/7
- 登録日時
- 2018/03/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000616
- 質問
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解決
【ノコギリ状の道路について】 金沢市内にノコギリ状の道路が存在するなら、その箇所等を教えてほしい。また、そのような記事が掲載されている書籍等があれば紹介してほしい。
- 回答
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○城下への入り口に設けられているもの
・北国街道の大樋町・春日町・高道町付近(現大樋町・春日町・鳴和・山の上町・東山・森山) 『金沢・北陸の城下町』等に収録されている「金府大絵図」等の城下図で確認できる。
・宮腰往還の折違町付近(現昭和町・折違町) 『日本歴史地名大系 17 石川県の地名』(118287258)p.420「折違町」によると、町名は鞍月用水に架かる折違橋にちなむ。『金沢城惣構跡』(金沢市発行のパンフレット)で折違の様子が確認できる。
【URL】https://digilib.city.kanazawa.ishikawa.jp/preview/pdf/BINliwAAA
○市街地の中に設けられているもの
・大衆免七曲り(ダイジュメナナマガリ、現森山) 『日本歴史地名大系 17 石川県の地名』p.444「大衆免七曲り」に「大衆免亀淵町の通り中ほどから南東へ屈曲しながら高道町へと続く通りを挟む両側町」と書かれている。『城下町金沢の人々』(119661481)所収の「安政頃金沢町絵図」、『加賀松雲公 下』(119542936)付録の城下図等で屈曲の様子が確認できる。
・三社七曲り(サンジャナナマガリ、現長土塀) 『日本歴史地名大系 17 石川県の地名』p.397「七曲」に「三社を冠する場合もあり、七曲りとも記す。曲折する通りを挟む両側町(中略)屈曲の多いことから町名が付けられた」と書かれている。『城下町金沢の人々』(119661481)所収の「安政頃金沢町絵図」、『加賀松雲公 下』(119542936)付録の城下図等で屈曲の様子が確認できる。前者では「九折町」、後者では「九折」と表記されている。
・下本多町五番丁 江戸時代は本多家の屋敷地内に含まれていた。『城下町金沢の人々』(119661481)所収の「安政頃金沢町絵図」、『加賀松雲公 下』(119542936)付録の城下図等で屈曲の様子が確認できる。
・針屋町(現野町) 『日本歴史地名大系 17 石川県の地名』p.426「針屋町」に「野町通を西に入った小路の両側町で地子町。玄哲町の西にあり、西は泉用水を挟んで石坂河岸。町名は、地内に針屋があったことによると思われるが、不詳」と書かれている。『城下町金沢の人々』(119661481)所収の「安政頃金沢町絵図」、『加賀松雲公 下』(119542936)付録の城下図等で屈曲の様子が確認できる。
<追記>
『最近実測金沢市街地図』(118570408)、『金沢市街地図』(119889320)などによると、山ノ上町、木綿町、小立野新町、堀込町と茶畠の間、笹下町と沼田町の間にもギザギザ道がある。
『城下町金沢』p.9「加賀藩の年寄で一万六、五〇〇石を給された村井又兵衛の下屋敷と人持組にある一万四、〇〇〇石の今枝民部の下屋敷との尻地にあって「七曲り」といわれるところがある」(現在の長町武家屋敷辺り)「この七曲りという名称は浅野川口の相対請地を多く含む大衆免地域にも「大衆免七曲り」とあって、前途の「七曲り」と全く似た形状の町の形態を持っている。
『金沢のすがた』(119994353)p.88-89「七曲り」「七曲りには身分の高い武士のすんでいた町の中心にあるものと、町の中心地からはなれたところにできあがったものとの二通りがあります。町の中心の七曲りは、身分の高い武家屋敷のまわりなどにつくられていました。町はずれにある七曲りは、しぜんにできあがったものだといわれています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000232816