レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/8/28
- 登録日時
- 2016/03/29 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:31
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000256
- 質問
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解決
【前田利常と後水尾天皇の関係について】 前田利常と後水尾天皇の関係について解説した本を教えてほしい(智忠親王に嫁いだ富姫のことを調べている関係で)。
- 回答
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『前田利常略伝』副田松園/著(前田育徳会、1958年)(119563794)p.63「かつて後水尾院から優渥な宸翰を拝載せられた時、品川左門を呼び、「これを見よ。このような御懇ろな御状は、国持大名はいうに及ばず、御三家にもないことであろう。わが家の光栄これにすぐるものがない」と喜ばれた。慶安元年三月小川坊城大納言年完卿が院使として江戸に下向の時、仙頭御所から職人尽歌合を江戸の藩邸において拝載されている。また明暦3年11月、公は法性房筆の菅公像に院の宝讃を賜つて無上の知遇を辱うせられた。尚三十余通の女房奉書中に「叡感斜ならず」又は「たび々々国のちん器進上の事これもよく々々申せとの御事にて候」等の語があることから、公は常に天機を奉伺し、院もまた公を眷顧し給いたるを知るに足る」
『利家・利長・利常』見瀬和雄/著(北国出版社、2002年)p.94「また、富姫(富子)という姫がいたが、この人は、八条宮智忠親王に嫁ぐ。この智忠親王は、後陽成天皇の弟、智仁親王の息子である。後陽成天皇の息子の後水尾天皇は徳川秀忠の娘和子(東福門院)を中宮としており、和子は珠姫の妹だから、利常にとって後水尾天皇は義兄弟ということになる。そして、後水尾天皇の甥に、娘富姫が嫁いだわけだから、前田家は徳川将軍家だけでなく、皇族とも姻戚関係をもったことになる。(中略)さらに後水尾天皇に関しては、先の夜話のなかで、利常は「後水尾天皇から書状をもらうなどということは他の大名にはないことだろう」と誇らしげに語っている」
『温故集録 1』(金沢市立図書館、2003年)(119784436)p.80「後水尾帝恩賜之宇津保物語御穿鑿」・・・職人歌合も後水尾天皇より拝領、p.92「台臓界・金剛界」・・・後水尾天皇叡覧
その他、八条宮智忠親王と富子(富姫)に関しては、以下の文献にも記述がある。
『可観小説 後編』青地礼幹/著(金沢文化協会、1936年)p.855「八条宮家菅廟異聞」
【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/kakan.htm
『三壺聞書』日置謙/校訂(石川県図書館協会、1972年)(118512001)「昭和6年刊の複刻」p.262「八条様へ御縁組の事」
『小松黄門前田利常公』野村昭子/著(北国新聞社、1989年)(11827101)p.120-125「八条宮智忠親王妃(富姫)・桂の別荘」
『寛永文化の研究』熊倉功夫/著(吉川弘文館、1988年)(11100320)p.152-153・・・桂離宮の造営の費用を前田家が援助した可能性を指摘している。
『市史かなざわ 第7号』(金沢市、2001年)(119728544)p.85-114「史料紹介 成巽閣蔵「今枝民部留帳之内」について-前田利常息女富姫の輿入れ-」
『加賀藩史料 第3編』寛永19年8月18日条「徳川家光、前田利常の女富姫の将に八条宮に嫁せんとするを以て、物を賜う」、同27日条「前田利常の女富姫、八条宮に嫁せんが為、江戸を発す」、万治2年11月17日条「金沢藩より八条宮に贈る物資の支出方法を規定す」(東大史料編纂所近世編年データベースによる)
【URL】http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
『加賀百万石と江戸芸術』宮元健次/著(人文書院、2002年)(118372902)p.40-57「後水尾院と利常」
『加賀前田家百万石の茶の湯』(109095948)p.70-75「加賀と京都の接点 富姫と今枝民部」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000190222