レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/5/21
- 登録日時
- 2018/05/20 15:15
- 更新日時
- 2018/06/29 12:58
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中ー郷土ー112
- 質問
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解決
太平洋戦争における戦争孤児の,京都での保護施設や当時の様子について知りたい。
- 回答
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大都市の中で比較的戦災の少なかった京都には,戦争によって家や親を失った孤児たちが,全国からたくさん集まってきました。昭和23年(1948)実施の「全国孤児一斉調査」(厚生省調べ)によると,全国の孤児数は12万3500人,京都は全国で4番目に多い約5000人とされていますが,実際にはその数倍の孤児たちがいたともいわれています。【資料2~4】
当時は京都駅で夜露をしのいでいた子どもを「駅の子」と呼んでいました。子どもたちはくつ磨きをしたり,拾ったたばこの吸い殻を売ったりして,なんとか飢えをしのいでいました。生活の苦しさから犯罪に手を染めてしまう子どもや,栄養失調などで亡くなる子どももたくさんいました。【資料1~4】
そんな子どもたちの保護施設として,昭和20年(1945)に「積慶園(せっけいえん)」が,翌年以降に「若宮寮」「北山寮」「指月寮」「平安徳義会」「洛北寮」「八瀬山寮」等が設立されました。戦後の混乱期,施設においても乏しい食糧事情であり,また厳しく規律正しい生活を求められ,保護された子どもが逃げ出してしまうことも多かったようです。【資料1~5】
- 回答プロセス
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●“戦災孤児”“戦争孤児”“駅の子”“浮浪児”等で当館所蔵資料を検索。・・・【資料1~3】
●“京都 福祉”で当館所蔵資料を検索。対象資料を“図書”で絞り込む。・・・【資料4】
●京都の歴史資料の内容を確認。件名“京都市―歴史”“京都府―歴史”などから市町村史を検索。・・・【資料5・6】昭和20年9月23日~昭和23年頃の年表等で,キーワード“浮浪児”に該当する箇所を確認。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 近畿地方 (216 9版)
- 社会福祉 (369 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『シリーズ戦争孤児 1 戦災孤児』(汐文社 2014)
- 【資料2】『戦争孤児を知っていますか? あの日、“駅の子”の戦いがはじまった』(本庄 豊/著 日本機関紙出版センター 2015)
- 【資料3】『戦争孤児「駅の子」たちの思い』(本庄 豊/著 新日本出版社 2016)
- 【資料4】『京都市児童福祉百年史』(京都市児童福祉史研究会/編 京都市児童福祉センター 1990)p21~24「敗戦後の児童と社会福祉の成立」,p48~59「敗戦と浮浪児対策」,p228~231「戦後期の児童院」,p442~456「京都市児童福祉百年史年表」
- 【資料5】『京都府百年の年表 4 社会編』(京都府立総合資料館/編 京都府 1971)p252~267
- 【資料6】『京都府百年の資料 4 社会編』(京都府立総合資料館/編 京都府 1972)p868「孤児を収容」
- キーワード
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- 戦災孤児
- 戦争孤児
- 駅の子
- 浮浪児
- 児童養護施設
- 児童福祉施設
- 戦争犠牲者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000235771