レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年05月10日
- 登録日時
- 2017/03/15 15:59
- 更新日時
- 2017/06/07 15:21
- 管理番号
- 埼熊-2016-140
- 質問
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解決
清の初代皇帝ヌルハチの出自を知りたい。
- 回答
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下記資料に記述があった。
『アジア歴史事典 6』(平凡社 1960)
p40「たいそ 太祖(清)」に「1559~1626 在位1616~26 中国、清朝の初代の皇帝。名:ヌルハチNurhaci (弩爾哈斉、明や朝鮮では多く奴児哈赤と書く。姓:アイシンギョロ(愛新覚羅)」とあり。
『清の太祖ヌルハチ 中国歴史人物選 第11巻』(松浦茂著 白帝社 1995)
p1「ヌルハチは、明朝の東北国境外に居住した満州族の出身であって、そのころ明との貿易で急速に勢力を伸ばした新興の商人階級に属していた。」
p2「清朝を建国した当時の満州族は、明朝の領域外に居住していて、明の支配に甘んじながらも独自の文化を発展させていた。かれらはツングース・満州語族の一方言である満州語を話し、シャマニズム的な世界観をもち、そして中国の文化だけではなくモンゴルの文化的な影響もまた強く受けていた。」
p70-73「ヌルハチの生い立ち」に「清の太祖ヌルハチは、一五五九(嘉靖三八)年に父タクシと母エメチとの間に長男として生れた。」とあり。祖先の詳しい記述もあり。
『中国人物叢書 第2期第8巻 奴児哈赤』(人物往来社 1967)
p7-13「生いたち」に「のちに清の太祖たるべき人、奴児哈赤(ヌルハチ)は明の嘉靖三八年(1559)に、建州女直(けんしゅうじょちょく)とよばれる女真(じょしん)族の部将の家に生まれた。父はタクシ。母はヒタラ氏で名はエメチ、建州右衛の酋長王杲(おうこう)の娘であった。」
『人物中国の歴史 9 激動の近代中国』(集英社 1982)
p25-47「ヌルハチ」に「清朝三百年の基をひらいた太祖ヌルハチは一五五九(嘉靖三八)年に、蘇子河畔の山あいの盆地の中心たるヘトアラ(旧名興京。今の遼寧省新賓県老城)の地に女真族の部将の子として誕生した。父はタクシ。母はヒタラ氏の出で、名をエメチ(中略)ヌルハチの一家は建州女真の集団に属した。」とあり。略年譜あり。
- 回答プロセス
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参考図書を確認する。
『アジア歴史事典 6』(回答資料)
自館目録を〈件名:太祖〉で検索する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『アジア歴史事典 6』(平凡社 1960)
- 『清の太祖ヌルハチ 中国歴史人物選 第11巻』(松浦茂著 白帝社 1995) , ISBN 489174233X
- 『中国人物叢書 第2期第8巻 奴児哈赤』(人物往来社 1967)
- 『人物中国の歴史 9 激動の近代中国』(集英社 1982)
- キーワード
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- 太祖(タイソ)
- 奴児哈赤(ヌルハチ)
- 中国-歴史-清時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000211766