レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/12/8
- 登録日時
- 2017/12/12 11:57
- 更新日時
- 2019/04/21 11:39
- 管理番号
- 島根参2017-12-001
- 質問
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解決
太平洋戦争末期に愛媛県松山市に置かれた「松山海軍航空隊」のことを調べています。どこにあったのか、当時の状況、跡地が今どうなっているのかなどが分かる資料はありますか。
- 回答
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当館所蔵から以下の資料を紹介。
【資料1】『愛媛県百科大事典』(愛媛新聞社 1985)
p480「松山海軍航空隊 まつやまかいぐんこうくうたい」
太平洋戦争下の昭和18年(1943)松山市吉田浜の基地(約300ヘクタール)に新設された海軍航空隊。・・・ (中略)・・・同隊所属の七つ釦の甲種飛行予科練習生は、18年13期3000人をトップに、16期生まで偵察操縦要員養成を急ぎ19年宇和島航空隊(坂下津)も分設したが、養成半ば20年陸戦隊「緑部隊」に改編、宿毛湾岸で終戦を迎えた。 (※帝人松山工場前「隊跡碑」の写真あり)
【資料2】『愛媛県史 近代 下』(愛媛県 1988)
p870~871「松山海軍航空隊」
昭和18年初め、松山市郊外吉田浜に第19連合航空隊隷下の松山海軍航空隊が設置され、甲種飛行予科練習生(略称予科練)の養成に当たった。・・・(中略)・・・昭和20年6月、航空機機材の払底と本土防衛の必要から急きょ陸戦隊に改編され、「緑部隊」と呼んで城辺町から宿毛(高知県)にわたり配備されて終戦を迎えた。
p872「昭和18年吉田浜航空基地」図面。
p931~933「松山空襲」
現在松山市北吉田の帝人松山工場や大阪曹達松山工場がある一帯には、昭和18年に松山海軍航空隊が置かれ、甲種飛行予科練習生(予科練)の養成が行われていた。昭和20年5月4日午前8時10分、B29九機が爆弾40余発を投下した。・・・(後略)・・・
【資料3】『空港のはなし』(交通研究協会 2013)
p199~「日本の空港一覧」
松山空港の項に「前身は旧海軍航空隊基地」と記載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 四国地方 (218 8版)
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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【資料1】愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 , 愛媛新聞社. 愛媛県百科大事典 下. 愛媛新聞社, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000159012-00 (p480 当館請求記号 R037/180/2 ※貸出禁止資料) -
【資料2】愛媛県史編さん委員会 編 , 愛媛県. 愛媛県史 近代 下. 愛媛県, 1988.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001921946-00 (p870-872,p931~933 218/23/1-6 ※書庫資料) -
【資料3】岩見宣治, 渡邉正己 共著 , 岩見, 宣治 , 渡邉, 正己, 1951- pub. 2013. 空港のはなし 改訂版. 交通研究協会, 2013. (交通ブックス ; 307)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I024375709-00 , ISBN 9784425777624 (p208 当館請求記号 687.9/イ13)
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【資料1】愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 , 愛媛新聞社. 愛媛県百科大事典 下. 愛媛新聞社, 1985.
- キーワード
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- 愛媛県
- 松山市
- 太平洋戦争
- 第二次世界大戦
- 日本海軍
- 帝国海軍
- 航空隊
- 予科練
- 空襲
- 終戦
- 戦没者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000226246