レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/11/07
- 登録日時
- 2017/12/23 00:30
- 更新日時
- 2018/01/15 11:29
- 管理番号
- 6000037061
- 質問
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未解決
明治元年、5年、40年、45年の豊中の神社と寺院の数を調べている。40,45年は神社の数だけでもよい。
- 回答
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豊中での廃仏毀釈、神社合祀について調べているとのこと。
田村利久「明治期神社合併資料(明治十二年大阪府神社明細帳ヨリ)『大阪春秋』昭和56年秋第29号(当館未受入資料)の100~131ページで、
明治初期に三島郡上新田村、豊島郡の麻田村から石蓮寺村までの鎮座地(「当時の行政地名で、明治初期の村名である」とあり)に
所在していた神社と合併もしくは廃社の年月日が分かる。
これをみると、明治5年に郷社や村社に列せられた神社が12社あり、そこに明治40年~43年にかけて合祀されている
神社名が分かる。『大阪府全志 第三巻』『大阪府神社史資料 下巻』でも同内容を確認することが可能。
明治元年、5年、40年、45年の豊中(豊島郡と一部三島郡)寺院数がまとめて掲載されている資料は見つけることが
できなかった。
- 回答プロセス
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『新修豊中市史 通史ニ』の「明治5年郷社・村社届および明治40年以降の合祀」
の表を手がかりに、『大阪春秋』第29巻を確認したところ、pp.100-131に田村利久「明治期神社合併資料(明治十二年大阪府神社明細帳ヨリ)」があった。
寺院については市史等をみたがまとめてあるものは見当たらず。
『宗教制度調査資料 第二巻』(文部省宗教局 原書房 昭和53年)には、大正9年現在の「大阪府豊能郡」「三島郡」の寺院数、仏堂数、仏教教会数、神道教会数、基督教教会数などの記載あり。
調査方法としては、『桜井谷村郷土誌』(明治43年)や『豊島郡庄内村誌』に収録されている「明治四十年郷土誌(庄内尋常高等小学校)」、『小曽根村誌』(大正13年)など各村の資料にあたるくらいか。
ただしその場合も必要な年の寺院数を見つけられるかは不明。
参考までに資料をみていただいた。
- 事前調査事項
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『新修豊中市史 民俗』、『新修豊中市史 集落・都市』、『新修豊中市史 通史ニ』は参照済み。
『通史ニ』pp.68-75、220-224に
p.72に「明治5年郷社・村社届および明治40年以降の合祀」の表が掲載されている。
これは「岸上家文書」(池田市立歴史民俗資料館蔵)、「庄内神社文書」、『大阪府全志』巻之三、田村利久「明治期神社合併資料」『大阪春秋』第29号をもとに作成となっている。
- NDC
- 参考資料
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- 『新修豊中市史第2巻』 豊中市史編さん委員会/編集 豊中市 (72)
- 『大阪府神社史資料下巻』 大阪府神社庁 (200、279-286、308-317、321-332、344-345、348-349)
- キーワード
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- 神社(ジンジャ)
- 寺院(ジイン)
- 廃仏毀釈(ハイブツ キシャク)
- 神社合祀令(ジンジャ ゴウシ レイ)
- 明治(メイジ)
- 豊嶋郡(テシマグン)
- 三島郡(ミシマグン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 大学生
- 登録番号
- 1000227164