レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月23日
- 登録日時
- 2016/07/24 19:26
- 更新日時
- 2017/02/01 14:10
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2016-012
- 質問
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解決
尾張藩主が参勤交代の際どのような道を通ったのか、できるだけ詳しく知りたい。
- 回答
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1.『尾張の街道と村』によれば、木曽街道・中山道経由と、東海道経由の二つの経路を使っていたようです。
2.『御着城之節御迎出場所』には、名古屋城着城までの経路が詳しく書かれています(『尾張の街道と村』によれば天保十一(1840)年、十二代藩主徳川斉荘初入国時のものと推定)。宮宿までは東海道を通り、そこから北上、橘町の大木戸門を通過し、七寺前、大須門、末広町、若宮、広小路、玉屋町、評定所前、本町筋を通り渡辺半蔵屋敷前を通り、西鉄御門を通って城内に入城。城内では黒御門を通って二の丸御殿に入りました。
3.『鸚鵡篭中記』によれば、宝永八(1711)年、名古屋城着城の際は木曽街道を通り、八王子で奉拝、志水、中村又蔵横丁、片端、本町御門を通って入城しました。
- 回答プロセス
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1.街道を利用していたことは推察できたので、尾張の街道に関する資料を当館がネット上で公開している「なごやコレクション」で検索したところ、『尾張の街道と村』が見つかりました。
2.上記資料に参勤交代に使った街道の詳細が書かれていました。さらに詳しいことを典拠資料にあたり、確認しました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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櫻井芳昭 著 , 櫻井, 芳昭, 1938-. 尾張の街道と村. 櫻井芳昭, 1997.p14-p.46
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002718406-00 - 御着城之節御迎出場所(名古屋市史編纂資料)
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名古屋市教育委員会/編 , 名古屋市教育委員会. 名古屋叢書 続編 第12巻. 愛知県郷土資料刊行会, 1983.p.27
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I026296029-00
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櫻井芳昭 著 , 櫻井, 芳昭, 1938-. 尾張の街道と村. 櫻井芳昭, 1997.p14-p.46
- キーワード
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- 参勤交代
- 尾張藩主
- 名古屋城
- 交通-名古屋市
- 城-名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000195163