レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2003/11/07
- 登録日時
- 2005/05/11 02:10
- 更新日時
- 2016/07/08 14:10
- 管理番号
- 岡崎図-0001
- 質問
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解決
岡崎市西本郷町和志山にある古墳が陵墓参考地から「五十狭城入彦(イサキイリヒコ)の墓」とされたのはいつからか?
- 回答
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国立国会図書館サーチより、『官報』(昭和16年4月24日付)に宮内省告示として
「五十狭城入彦皇子・・・ノ墓左ノ通定メラル・・・昭和十六年四月二十四日 宮内大臣 松平 恒雄」
とある。
【資料1】p.26-27に
「・・・昭和十六年四月十八日臨時陵墓調査委員会の議を経て五十狭城入彦皇子御墓に
御治定せられ、・・・」とある。
【資料2】にも同様の記述あり。
【資料3】p.40-41、p.159-163には【資料1】他を参考資料とし、陵墓参考地となった日付や
陵墓指定日、その他、様々な考察が述べられている。
なお『陵墓要覧』宮内庁書陵部 1956(国立国会図書館デジタルコレクション)
には陵墓が一覧でまとまっており、五十狭城入彦皇子墓も載っているが、日付までの詳しい情報はない。
データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」で検索すると、
1941年4月24日付の新聞に「歴朝5皇族の御墓決定」の記事あり。
二十三日、宮内省から発表されたとあり。五十狭城入彦皇子墓も載っている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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矢作史料編纂委員会 , 矢作史料編纂委員会 編. 岡崎市史 矢作史料編. 岡崎市, 1961. AO233/オ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001349325-00 (【資料1】) - 土屋彦吉. 五十狭城入彦皇子御墓. 1941. AP288 (【資料2】)
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外池昇 著 , 外池, 昇, 1957-. 事典陵墓参考地 : もうひとつの天皇陵. 吉川弘文館, 2005. 288.4/シ
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007815714-00 , ISBN 4642013458 (【資料3】)
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矢作史料編纂委員会 , 矢作史料編纂委員会 編. 岡崎市史 矢作史料編. 岡崎市, 1961. AO233/オ
- キーワード
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- 五十狭城入彦
- 和志山古墳群
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000021531