レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月25日
- 登録日時
- 2018/03/30 11:30
- 更新日時
- 2018/03/31 10:41
- 管理番号
- 地-1700015
- 質問
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解決
タニシおよびカワニナを食していた記録が神奈川県内にあるか、また習俗についても知りたい。
- 回答
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神奈川県内のタニシの食用に関する資料については、次の資料が見つかりました。カワニナについては、当館の資料では、食用にしているという記述は見つかりませんでした。
①『聞き書 神奈川の食事(日本の食生活全集14)』農山漁村文化協会 1992年<K38/117/a 常置>(80389851)
大正の終わりから昭和の初め頃の神奈川県の食生活について、昭和初期に食事作りにたずさわってきた神奈川県の主婦を中心に聞き書きの記録をまとめた資料です。
・「川崎近郊農家の食」のp83~84「2 川や田んぼの魚介類、昆虫」の項に、「たにしは田植え後から稲が茂ってくるまで田の土の上をはいずっているので、ひろうようにしてとる。水をとりかえて泥を吐かし、ゆでて木綿針で身だけをとり出し、砂糖、酒、醤油で味つけしてつくだ煮にする。」(p84)とあります。
・「川崎近郊農村の年間の食生活暦」(p92、93)の表の「食のだんどり」欄に、「7月たにしとり」とあります。
・「相模川流域の食」のp183 「2 春―とれるわとれるわ、うなぎやたにし」の項に、「堀の水がぬるむころになると、田んぼでたにし、堀でしじみ、ふな、田の水口や川でどじょうやうなぎ、ずがに(もくずがに)などがたくさんとれるようになる。」とあります。
・「相模川流域地域の食」のp205「たにしの煮つけ」の項に、「たにしは四月ころ田んぼでとる。切干し大根と煮つけたり、ごぼうと煮つけたりして春の食膳をいろどる。」とあり、その後にタニシの調理方法が記されています。
②『酒匂川水系の水生動物』神奈川県環境科学センター 2006年 <K48/87/a 常置>(60467966)
p67 「タニシ科 マルタニシ」の項に「現在の生息地は谷戸田に多い。昔は食用に利用された。」とあります。同じページの「カワニナ科 カワニナ」の項には食用に関する記述はありませんでした。
③『神奈川新聞 川崎版』昭和58年9月30日 13頁(川崎地域面)
「ジャンボタニシがブーム」「川崎の販売所大忙しに」「養殖容易、繁殖力も抜群」というタイトルの記事があり、ジャンボタニシの養殖をしている農家や自営業者が県内では横須賀市や川崎市に数人いる程度でまだ知らない人が多い。成長したジャンボタニシは刺身や塩焼きで食べられ、味も日本版「エスカルゴ」といったところ、とあります。
④『平塚市史民俗調査報告書1―神田・城島―』平塚市市史編さん課 1981年<K38.62/11/1 常置>(50422641)
「食生活の伝承」(p57-59)のp59「副食・調味料」の項に「タニシ、ドジョウを春食べた」(横内地区)とあります。
⑤『平塚市史民俗調査報告書4―金目・金田―』平塚市博物館 1984年<K38.62/11/4 常置>(50422674)
「2 食生活の伝承」(p233~236)のp235「(2)副食」の項に「田ニシは、苗床を作ってモミを播くころ、田のモミを食べてしまうので、田ニシを拾って食べた。」(入野地区)という記述があります。
⑥『平塚市史民俗調査報告書6—大野―』平塚市博物館 1987年 <K38.62/11/6 常置>(50422708)
「2 食生活の伝承」(p139~145)のp142~143「(3)副食その他」の項に「タニシは4月、田植え前にとった。タニシはゆでて身をとり出し、切り干し大根と一緒に煮た。(中略)四之宮ではタムラダ(田村田)へタニシをとりに行った。」とあります。
⑦『綾瀬市史民俗調査報告書4―上土棚の民俗―』綾瀬市1995年 <K38.57/1/4 常置> (60144466)
「第五章衣・食・住」の「二 食事」の項に、p136 「タニシも取ってきて切干し大根と煮た。」(p136)とあります。
p150「(六)ひとよせの食事」の項の「小豆御飯と稲荷講」に、「小豆の御飯のときは、だいたいけんちん汁を作り、切干し大根とタニシを煮た。」とあります。
⑧『綾瀬市史民俗調査報告書6―小園の民俗―』綾瀬市1997年 <K38.57/1/6 常置> (60197688)
p249 に「子どもに関わる唄」として「田螺ことこと」という子守唄が掲載されています。(小園ばかりではなく、厚木周辺や相模原でも歌われていたという)
⑨『伊勢原市史民俗調査報告書1』伊勢原市 1988年 <K38.64/5/1 常置>(50069582)
p113に「タニシは4月にとって芹と味噌煮にした。(中略)タニシや筍を持っていくと店屋で買ってくれた。」とあります。
⑩『伊勢原市史民俗調査報告書2』伊勢原市 1989年 <K38.64/5/2 常置>(50422880)
p110に「タニシは田のクロツケをして一番耕いと二番耕いの間くらいに拾った。夜なべに茹でて針で出し灰汁でよくもんで砂糖醤油をきかせてつくだににした。タニシは枡で一升計って魚屋へ売った。」とあります。
⑪『伊勢原市史民俗調査報告書』
・『伊勢原市史民俗調査報告書4』伊勢原市 1991年 <K38.64/5/4 常置>(60017530)
p160~161に「採取した食物」として「タニシ」が挙げられています。
・『伊勢原市史民俗調査報告書5』伊勢原市 1992年 <K38.64/5/5 常置>(60038130)
p116に「採取した食物」に「タニシ」とあります。
・『伊勢原市史民俗調査報告書6』伊勢原市 1993年 <K38.64/5/6 常置>(60060126)
p102に「タニシはアヒルの餌にした」p103に「タニシは塩茹でにしておやつにしたりムキミにして切干大根またはオビラメと煮て毎日食べたという。」また山椒の酢味噌和えにしたりつくだに(保存食)にしたりしたあります。
⑫『大磯町史民俗調査報告書1-5』大磯町1993~1998年<K38.61/28/1-5 常置>(60104494 ほか)
・第1巻
p71 タニシを食用としていたという記載があります。「川ニナは利用価値はほとんど無く、潰して餌にするのみであった。」とあります。
また「四月三日は子どものお節句で、男の子は山へ赤飯などを持って出かけたが、これにはタニシのおかずがつきものであった。」とあります。
p93に田螺をとったこと、調理法が記されています。砂糖醤油で煮たものを「四月三、四日の田舎節句の弁当に入れた」、とあります。
・第2巻
p72に第1巻と同様の記述があります。p160、191には女の節供や花見にタニシの煮物や佃煮を持って行った、とあります。
・第3巻
p163に「四月の節供(雛祭り)のころ、田にタニシをとりに行った」、とあります。
・第4巻
p177に「タニシは四月三日子供が取ってきて食べた。」とあります。
・第5巻
p163に「子どもの頃、自家の前が田なので、田植え前にタニシを取りに行き、茹でて身を出して食べた。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 神奈川県-風俗・習慣
- タニシ
- 料理
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000233812