レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年12月06日
- 登録日時
- 2018/12/06 09:41
- 更新日時
- 2019/01/07 13:11
- 管理番号
- 秋田-2159
- 質問
-
解決
江戸から明治時代までの田沢湖の生態魚についてわかる資料はあるか。
- 回答
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次の資料を案内。
①『田沢湖と周辺』(佐々木 由治郎/著、民俗説話研究会、1970、291/532/)資料番号:110543956
②『田沢湖』(富木 友治/編、瑞木の会、1959.7、291.7/トタ/)資料番号:124024910
③『秋田県史〔通史編〕第5巻(明治篇)』(秋田県/編、1977.11、210/アア/5)資料番号:111327359
- 回答プロセス
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・キーワード検索「田沢湖 生態」にて全項目検索→該当資料なし。
・キーワード検索「田沢湖」にて書名検索→該当資料を調査。①・②を案内。
①『田沢湖と周辺』(佐々木 由治郎/著、民俗説話研究会、1970、291/532/)資料番号:110543956
⇒p.98-p.102 国鱒について記載あり
p.102-p.103 鮭とりについて記載あり
p.103-p.106 鰍(かじか)とりについて記載あり
p.141-p.239 田沢湖に関する年表
p.141 一七九一 寛政三年 湖畔大沢の旭鉱山から流れた鉱毒のため国鱒が少なくなった。記載あり
p.143 一九〇二 明治三五年 潟尻にあめ鱒、姫鱒の人工孵化場が設けられた。記載あり
②『田沢湖』(富木 友治/編、瑞木の会、1959.7、291.7/トタ/)資料番号:124024910
⇒p.69-p.79 田沢湖とその生物 上野益三 記載あり
p.81-p.88 田沢湖の魚族 大島正満 記載あり
p.114-p.115 田沢湖の特産は国鱒であった。記載あり
p.136 第二図 明治時代の国鱒 木ノ尻鱒(国鱒)記載あり
p.137 少なくとも明治頃までの国鱒は、尾の付根の部分が非常に幅広く 記載あり
p.137-p.141 漁期について記載あり
p.225-p.240 田沢湖年表
p.226 一七九一 寛政三 湖畔大沢ノ旭鉱山ノ鉱毒ガ湖ニ流レ、国鱒ガ減少ヲミタ。記載あり
一八〇五 文化二 八月二十三日国鱒オヨビ潟水ヲ角館北家ヨリ藩主義和ニ献ズ。記載あり
p.228 一九〇二 明治三五 潟尻ニ田沢湖孵化場ガ設置サレ、アメ鱒ト姫鱒ノ放流ガ行ワレタ。記載あり
・秋田県史を調査。③を案内。
③『秋田県史〔通史編〕第5巻(明治篇)』(秋田県/編、1977.11、210/アア/5)資料番号:111327359
⇒p.823-p.824 田沢湖の漁業について記載あり
- 事前調査事項
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クニマス関係の資料は閲覧済。
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 田沢湖
- 生態魚
- 国鱒
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 受付方法:口頭、10/23
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000247262