レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/06/14
- 登録日時
- 2017/03/30 00:30
- 更新日時
- 2017/03/30 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-160125
- 質問
-
解決
和歌などに,よく宮城野原あるいは宮城野萩の語句が見られますが,この宮城野原の位置が知りたいです。
- 回答
-
下記資料に宮城野に関する記述がありましたので御紹介します。※【 】内は当館請求記号
資料1 平凡社地方資料センター編『宮城県の地名』平凡社, 1987【K290.3/ミ43】
pp.311-312「宮城野」の項
資料2 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 4 宮城県』角川書店, 1979【K290.3/ニ2】
p.508「宮城野」の項
資料3 菊地勝之助『仙台地名考』宝文堂, 1971【K292.5/キ1-2】
pp.185-186「宮城野」の項
「いま宮城野又は宮城野原と呼んでいるのは,榴が岡の東,木の下の北に続く十町に六町ほどの平原で,もとの練兵場即ち現在の各種運動競技場と国立仙台病院並に仙台中央卸売市場などのある所をさしているが,古の宮城野とは遠く海岸地帯まで打ち続いた広漠たる原野であったらしい。かの『東鑑』に見る源頼朝が奥州征伐に向った文治年間頃(一一八五-八九)の国分原は大体この原を指したものと見られている。また,『古今集』に「宮城野の本荒の小萩露をおもみ風をまつごと君をこそ待て」とある本荒(もとあら)の里もこの原のうちであると見れば,相当広い原野であったことが想像される。それが時代の推移につれ,畑となり田となり,また,人の住む所となって次第に草原は減り,地域は狭められて僅かに一角の宮城野原となったのである。(後略)」
p.216「宮城野(一~二丁目)の地名」の項
資料4 金沢規雄『「おくのほそ道」とその周辺』法政大学出版局, 1964【K900/カ1】
pp.157-194「『おくのほそ道』ノート(三)-「宮城野の萩茂りあひて」考-」の項
資料5 『仙台市歴史民俗資料館調査報告書』仙台市歴史民俗資料館, 3集(1982)【PK380/セ】
pp.2-7に宮城野地区の概況,宮城野関係年表が掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 宮城野
- 宮城県仙台市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 社会人
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000213518