レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002年05月02日
- 登録日時
- 2009/10/24 15:24
- 更新日時
- 2013/11/09 11:37
- 管理番号
- 21-23
- 質問
-
解決
数学史家・三上義夫宛ての書状の中に、差出人が「土方」とのみ書かれているものがあった。日付は明治四十四年一月十八日。便箋が松山中学校のものなので、先生ではないか。
- 回答
-
おそらく教員・土方仙作氏。
- 回答プロセス
-
【資料1】木山慎一「恩師の巻」に「土方(仙作)は大正十五年まで二十一年間松中にあり、教頭、生徒監にまで進んだが「どか仙」の尊称のもと生徒には怖い存在だった。数学、化学を担当していたが、父兄会の席上X光線、無線電信の実験をしてみせたり、運動会の余興に大型紙風船に水素を入れて空中たかくとばしたり、興味をひきつけて科学づける教授ぶりは堂にいっていた。厳格だったが、職員会議で落第寸前のもののため、この方面に伸したらよいと最後まで支持したりする温情もあった。土方と野球部長もまたゆかり深いものである。」とある。
手紙の書かれた明治44年は在職中であり、数学担当ということから、土方仙作氏と考えてよいだろう。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 数学 (410 9版)
- 学校経営.管理.学校保健 (374 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『松山東高校 創立80周年』(愛媛県立松山東高等学校、1960)
- キーワード
-
- 三上義夫(みかみよしお)
- 愛媛県立松山東高等学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000058974