レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月14日
- 登録日時
- 2014/07/14 13:25
- 更新日時
- 2014/10/22 15:17
- 管理番号
- 秋田-1689
- 質問
-
解決
鷹巣町にある浄運寺の沿革について知りたい。
- 回答
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・『秋田県曹洞宗寺伝大要』(大坂 高昭/著、無明舎出版、1996年)
P.402~403 「荘重な近代的伽藍 恕盛山 浄運寺」
「寺伝」の項にある記述が、『秋田のお寺 心のふる里(秋田魁新報社出版部/編、1997年)』と同内容であることから、この資料が出典と推測される。
P.771 世代表 「恕盛山 浄運寺」
開山から二七世までの住職が掲載されている。
・『秋田県曹洞宗編年史』(大坂 高昭/著、無明舎出版、1999年)
P.310 一六四八年
「浄運寺が創設される。(中略)この鷹巣村は元和年鑑(一六一五~一六二四)から秋田藩による開発対象地にあげられ、慶安年間に至って大館城代家老小山縫殿之丞が、斎藤伊勢とともに 新関開削による新田開発に成功し開村した村である。この時代はまた、村ごとの”寺請制度”が強化された時期でもあることから、入植者もふえた新しい村に寺院を配置する藩政上の必要もあり、一寺が開創されたものと思われる。ただ、”新寺建立禁止”の幕令に抵触しない措置が講じられたはずであり、寺社や史料にはないが何らかの既存堂宇を再興したことが考えられる。」
P.318 一六五二年
信正寺の開創について述べた中で、「この時代における宗福寺の積極的な門末寺院開創(快巌存鷹は鷹巣・浄運寺開山)を考えれば、本末改めと寺請制度に対応する両面の必要から、あらためて宗福寺門末として再興されたものと思われる。」との記述あり。
P.425 一七八四年
「浄運寺(鷹巣町)が消失する。」
P.445 一八一三年
「浄運寺(鷹巣町)が二度目の火災で焼失する。」「再建については定かではない」との記述あり。
P.559 一九四七年
「浄運寺(鷹巣町)が消失する。(中略)度重なる火災の教訓から、十五年後に再建された本堂は、県内の曹洞宗寺院には珍しい鉄筋コンクリート造りの殿堂となる。」
P.571 一九六二年
「浄運寺(鷹巣町)の本堂が再建される。」
P.607 秋田県における曹洞宗開創年代別寺院
1648(慶安元)年 浄運寺
P.616 秋田県曹洞宗寺院本末系統 天徳寺門葉
永源寺(群馬県)‐天徳寺(秋田市)‐宗福寺(大館市)‐この下に9寺院あり、浄運寺は8番目に掲載。
・『鷹巣町史』第1巻 (鷹巣町史編纂委員会/編纂、1988年)
P.367「淨運寺」
所在地 鷹巣 山号 恕盛山 宗派 曹洞宗
「鷹巣町草創まもない承応三年(1654)八月、大館城代家老小山縫殿之丞(勝茂)が良心の菩薩を弔うため現在地に一寺を建立し、父母の法名からそれぞれ二次をとり「恕盛山淨運寺」とした。
(「成田家系図」付録)
開山は大館宗福寺八世快岩存鷹大和尚である。「宗福寺歴代記」によれば、快岩存鷹は宗福寺に
慶安元年より六年間在職し退休後常清庵を建て五人扶持をたまわる。花岡信正寺、鷹巣淨運寺の開山にむかえられ、鷹巣が示寂の地で、寛文四年九月二十八日示寂。」
・『鷹巣郷土誌』(大川多郎兵衛/[ほか]編、鷹巣中学校、1957年)
P.175~176 宗教の項「恕盛山浄運寺(曹洞宗)」
前述の『鷹巣町史』と同内容で、歴代住職については26代まで掲載あり。
・『鷹巣地方史研究』第18号(鷹巣地方史研究会/編、1986年5月)
「浄運寺籠谷秀方大和尚とその周辺」
四男である籠谷忠恕氏が父秀方氏について述べた文章が掲載されている。
(籠谷秀方氏:二十世 1889~1946年)
・『広報たかのす』№529号(鷹巣町/編、1984年6月1日号)
P.8「ふるさと人物伝」67 籠谷秀方 1889-1946
以下の資料も確認したが、関連記述の発見には至らず。
・『秋田大百科事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、1981年)
・『秋田県寺院大総覧 上』(秋田県寺院編纂会/編、寺院総覧編纂会、1979年)
・『秋田県に於ける曹洞宗史の研究』(笹尾哲雄/著、普門山大悲禅寺、1978年)
・『秋田の山伏修験と密教寺院』(佐藤久治/著、無明舎出版、2009年)
・『秋田・天徳寺史』通史年表・各世代表(前田亮雄/編、天徳寺、1994年)
・『宗福寺 松峰山』(光陽フォト・オフィス/企画、光陽フォト、2006年)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 浄運寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000156096