レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月20日
- 登録日時
- 2012/07/20 17:40
- 更新日時
- 2013/01/09 17:38
- 管理番号
- 014
- 質問
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解決
尼崎の空襲・戦災被害、戦争遺跡について調べたい。
- 回答
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アジア・太平洋戦争当時、阪神工業地帯の中核を占める軍需工業都市であった尼崎は、昭和20年(1945)3月から8月にかけて、アメリカ軍B29爆撃機部隊などによる数度の空襲により戦災被害を受けました。
現在も市域に残る戦争遺跡としては、旧開明小学校の塀に残る機銃掃射跡(開明町2丁目、開明中公園南西に保存)などがあります。
戦災被害及び戦争遺跡については、『図説尼崎の歴史』をはじめとする各種の参考文献により調べることができます。
- 回答プロセス
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1 尼崎の空襲・戦災被害の概要について
◆『図説尼崎の歴史』下巻 /Web 版図説尼崎の歴史
近代編第4節8辻川敦「空襲と戦災」において、日本側の史料と米軍史料の両者に依拠した最新の研究レベルの空襲・戦災史を記述している。加えて「西長洲八幡公園の平和塔」「旧開明小学校の塀に残る機銃掃射跡」「一発の爆弾により消えた平和館(城内)」という、尼崎の空襲被害を今に伝える3つの代表的な戦災スポットについて、市民への聞き取り調査などの成果を踏まえて解説している。
また、近代編第4節8コラム羽間(はま)美智子「銃後・疎開・空襲-尼崎市民の戦争体験-」においては、筆者の羽間(はま)美智子氏がみずからの学童疎開体験・空襲体験を綴っている。
これら2項目に加えて、前後の項目を参照することにより、空襲・戦災の背景にあったアジア・太平洋戦争と尼崎の関わりについて、調べることができる。
◆『尼崎市史』第3巻(通史編近代)、第8巻(近代史料編下)
主として日本側の史料をもとに、戦時期の尼崎について空襲被害を含めて解説している。上記『図説尼崎の歴史』と合わせて参照すべき基本文献であるが、米軍史料が未だ利用し得ず、また市民の体験を記録する取り組みが十分に行なわれていなかった時点の刊行物であることに留意して利用する必要がある。
2 尼崎の空襲・戦災に関する基本史料の翻刻
◆内田勝利執筆「尼崎市の戦災資料」、同「補遺」、同「続々」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第2巻第1号、同第3号、第8巻第1号掲載
尼崎の空襲・戦災に関する市・消防・警察などの行政文書、町内会記録など日本側史料を可能な限り網羅的に収録している。
◆地域研究史料館「兵庫県下の空襲に関する米軍戦術任務報告」1~6
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第18巻第1号、同第3号、第19巻第1号、第20巻第1号、同第2号、第21巻第1号掲載
◆地域研究史料館「住友金属プロペラ製造所の戦災被害」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第22巻第3号掲載
いずれも、アメリカ国立公文書館所蔵の米国戦略爆撃調査団報告書・同調査団史料(国立国会図書館複製所蔵)のうち、尼崎の空襲・戦災被害に関する基本史料を翻訳・紹介したもの。
なお、空襲・戦災史に関するアメリカ軍史料の概要ならびに閲覧利用方法などを解説したものとして、次の論考がある。
◆辻川敦「戦争研究のための米軍史料ガイダンス-「米国戦略爆撃調査団史料」を中心に-」
神戸史学会『歴史と神戸』第191号掲載
3 尼崎の空襲・戦災に関する市民の体験記録
◆「私の戦争体験」(市民8人の体験を収録)
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第11巻第3号掲載
なお、同誌はこの号以外にも、疎開体験や勤労動員体験など部分的に空襲体験を含むさまざまな戦時期証言記録や書簡史料などを掲載している。
◆『きょうちくとうの咲く街で-尼崎市民が綴る戦争体験の記録-』(尼崎都市・自治体問題研究所内、同編集委員会)
◆『甦る夾竹桃-尼崎市民のつづる戦後体験-』(尼崎都市・自治体問題研究所内、同編集委員会)
◆『戦後60年・・ 語る、そして私は願う』(東園田町会)
いずれも、尼崎市内の市民団体が、市民の戦争体験・戦後体験の証言を募り、記録したもの。
4 尼崎市内に残る戦争遺跡
戦争遺跡として保存され、今日に伝えられている代表的なものとしては、旧開明小学校の塀に残るアメリカ軍P51戦闘機によると考えられる機銃掃射跡(開明町2丁目、開明中公園南西)がある。この銃撃跡に関連する解説としては、次のレポートがある。
◆井上眞理子「旧開明小学校の塀に残る「機銃掃射」の跡」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第35巻第1号掲載
◆井上眞理子「開明小学校の塀に残る機銃掃射の跡が教えてくれるもの(その1)」、同「(その2)」
神戸史学会『歴史と神戸』第245・246号掲載
また、同じ筆者による、城内にあった劇場平和館の空襲罹災と、その慰霊碑と誤って伝えられた石碑に関する解説として、次のレポートがある。
◆井上眞理子「平和館にまつわる人々(1)」、同「(2)」、「続平和館にまつわる人々(その1)」、同「(その2)」
神戸史学会『歴史と神戸』第253・254・260・261号掲載
このほか、寺町本興寺の墓石等に残る機銃掃射跡(旧開明小の塀に残る機銃掃射跡と同日、おそらく同じP51戦闘機により銃撃された痕跡と考えられる)、橘公園(尼崎市役所東側)に残る高射砲陣地のコンクリート構造物(うち一基は花時計の背後のライオン像土台となっている)、住友金属工業の工場建物屋上に残る銃座跡などがある。地域研究史料館作成の聞き取り調査記録や所蔵新聞記事スクラップなどにより、これらに関する情報を得ることができる。
5 尼崎の空襲・戦災に関する研究論文
◆辻川敦「第二次世界大戦における米軍の対日爆撃戦略-阪神間地域における爆撃目標設定過程の検討から-」
尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』第21巻第3号掲載
◆辻川敦「尼崎の戦災」
大阪春秋社『大阪春秋』第18巻第3号掲載
- 事前調査事項
- NDC
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- 国防史.事情.軍事史.事情 (392 9版)
- 参考資料
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- 『図説尼崎の歴史』下巻 平成19年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
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『尼崎市史』第3巻近代篇 昭和45年発行 同第8巻近代史料編下 昭和53年発行
(当館請求記号 219/A/ア-3、ア-8 ) - 尼崎市立地域研究史料館紀要『地域史研究』 (尼崎の空襲・戦災史に関する基本史料の翻刻、市民の体験記録、研究論文などを、各該当号に収録している)
- 神戸史学会『歴史と神戸』 (尼崎の空襲・戦災に関するレポートや米軍史料の利用方法に関するガイダンスなどを、各該当号に収録している)
- 『きょうちくとうの咲く街で-尼崎市民が綴る戦争体験の記録-』同編集委員会(尼崎都市・自治体問題研究所内)、1995年発行 (当館請求記号 391.6/A/ア)
- 『甦る夾竹桃-尼崎市民のつづる戦後体験-』同編集委員会(尼崎都市・自治体問題研究所内)、1997年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
- 『戦後60年・・ 語る、そして私は願う』東園田町会、平成17年発行 (当館請求記号 391.6/A/ヒ)
- キーワード
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- 空襲
- 戦災
- 戦争遺跡
- アジア・太平洋戦争
- 兵庫県尼崎市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版 尼崎地域史事典"apedia"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/
Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109176