レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2016/01/14 16:46
- 更新日時
- 2016/02/05 14:22
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2226
- 質問
-
解決
美濃加茂市の観光舟下りはいつ頃からはじまったか。県史、市町村誌等に記載があるか。また、川舟の操船技術に関する情報があるか。
- 回答
-
1 観光舟下りについて
美濃加茂市(美濃太田)から犬山まで木曽川を下る日本ライン下りは、平成3年まで可児市にも乗船場があったため、『可児町史』『可児市史』にも記載がある。
『可児町史』などには、大正2年(図書館註・大正3年とする資料もあり)に地理学者の志賀重昴が太田町(現美濃加茂市)を訪れて川下りした際に「日本ライン」と名づけたこと、昭和2年に日本八景に入選してから行楽地として注目されるようになったことが記載されている。また大正元年に8月の名鉄犬山線開業に伴い、愛知県犬山市の鵜飼鎌次郎が木曽川通船株式会社を設立しモーターボートに遊覧船をつないで土田(可児市)までのぼる遊覧業を開始したが客数が延びず1~2年で廃業したこと、大正13年に名古屋の資産家・山田才吉が可児市土田に料理旅館「北陽館」を建設したのと同時に、土田の三宅徳三郎がこれと提携してライン下りを始めたことが紹介されている。この他、『可児市史』『美濃加茂市史』『坂祝町史』『図説可児・加茂の歴史』にも同様の記載がある。
記載箇所は下記の通り。
・『可児町史』(可児町,1980年刊) p.892-895「日本ライン下りとライン公園」
・『可児市史 通史編近・現代』(可児市,2010年刊) p.716-720「日本ライン」
・『美濃加茂市史 通史編』(美濃加茂市,1980年刊) p.986-990「日本ライン」
・『坂祝町史 通史編』(坂祝町,2005年刊) p.301-302「坂祝の遊船事業」
・『図説可児・加茂の歴史』(郷土出版社,1985年刊) p.117「ライン下り」
また、県内発行の論文集・紀要に以下の論文がある。
・「日本ライン下りの歴史」(可児光生著,『美濃加茂市民ミュージアム紀要』第10集(2011年)p.7-16) … 大正~昭和40年代までの日本ライン下りの歴史を解説。また江戸時代末~平成15年までの年表「「日本ライン」下りのあゆみ」が掲載されている。
・「木曽川をめぐる大正昭和初期の観光の情景」(谷沢明著,『木曽川流域の自然と歴史-木曽川学論集2-』(木曽川学研究協議会,2015年刊)p.63-76) … 昭和6年に刊行された『日本案内記・中部篇』の内容を基に、当時の木曽川下り観光について紹介。
2 川舟の操船技術に関する情報について
川舟一般の操船技術に関する資料は見つからなかったが、長良川鵜飼の観覧船に関するものについては、下記の論文がある。
・「岐阜市鵜飼観覧船船頭の操船技術」(大塚清史著,『岐阜市歴史博物館研究紀要』21号(2013)p.1-34) … 鵜飼観覧船操船技術が市の無形文化財に登録される際の調査をもとに作成されたもの。竿、櫂を用いた操船技術の紹介。図版、写真あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 観光事業 (689 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000187050