「検査場は、現在の倉敷体育館の土地(倉敷市上富井1-8)にあった。体育館前に存在を示す石碑がある。また「倉敷市上富井輸出花筵検査場」とは、『岡山の藺草 岡山文庫43』(日本文教出版)のP.139に記載がある」という事前情報であった。『西阿知と花筵業 三宅松三郎商店の歩み』(三宅隆、三宅松三郎商店、2018年)のP.66に「昭和二十六年、倉敷市四十瀬に農林省輸出検査所が開設され、梱包所も併設されました。…後に検査所がなくなり、跡地は倉敷市の体育館になっています。」とあるので、農林省の検査場であったようである。また当館で最も古く昭和40年前後と考えられている住宅地図になる『倉敷市住宅案内図』(日本住宅地図刊行会、政文社、出版年不明)のP.30の該当地に、「農林省神戸輸出検査所岡山支所倉敷検査所」が記載されている。さらに『倉敷地区住宅案内図』(弘報社、昭和43年度)のP.50の該当地に、「輸出花筵梱包場」のみが記されている。これは上記『西阿知と花筵業』に記されていたものと考えられる。検査所は既に確認できないが、この地に隣接していたようである。ということで、昭和40年前後に取り壊されたようであるが、その年月は特定できず、当館での調査はここまでとなった。