レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年04月10日
- 登録日時
- 2013/03/16 13:42
- 更新日時
- 2013/07/11 09:40
- 管理番号
- 千県中千葉-2013-2
- 質問
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解決
野田市郷土博物館にある、明治期に野田市の地域通貨として使われていたという「駄賃札」が江戸時代にも使われていたのか、ということを調べたい。
- 回答
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「駄賃札」が江戸時代にも使われていたのか、ということについてはわかりませんでした。関連する資料は下記のとおりです。1.『キッコーマン醬油史』の「運輸」の項のp304-305に「駄賃札」のことが記載されています。野田醤油の輸送費のために使われた木札で、河岸への荷出しの際に発行していました。また、「表に一駄分即ち七樽の運賃に相当する金額が書かれ、裏に自家の印が焼印されていて、これが町内でも一般に通用していた」と書かれています。駄賃札の写真も掲載されていますが、いつから利用されていたのかは記載がありません。
2.『野田の醬油経営史料集成』p114-115には「文久四年野田・今上両河岸駄賃値上取極」(キッコーマン文書)という資料が所収されています。「壱駄ニ付上下共銭四拾四文」「小揚駄賃 高札前より銭廿四文 高札先より同廿九文」という表記が見られます。また、「世間一体駄賃値上ケニ相成候故」とも書かれており、上花輪村、中野台村、今上河岸、野田下町の馬持世話人総代や名主などが名を連ねています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品工業 (588 9版)
- 運輸.交通 (680 9版)
- 参考資料
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- 1.『キッコーマン醬油史』(キッコーマン醬油株式会社編 1968)(9200332011)
- 2.『野田の醬油経営史料集成』(野田市郷土博物館 1985)(9200332049)
- キーワード
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- 千葉県-野田市
- キッコーマン醤油
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129035