レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年5月18日
- 登録日時
- 2017/05/11 09:51
- 更新日時
- 2017/07/12 14:43
- 管理番号
- 県立長野-17-019
- 質問
-
未解決
1 松代藩第11藩主 真田幸民(さなだゆきもと)について
慶応2(1862)年3月10日から京都に半年間、御所の警備に行っている。その時にどんな人と接触したか、日記などがないか。どのような事をしていたか。
2 真田幸民の近習(嘉永7年頃)だった「奥村良蔵(おくむらりょうぞう)」について、詳しい資料(生没年、家族など)があるか。文久2年には「近習兼右筆」となっているようだ。
3 「御用席(ごようせき)」という言葉が文書などに出てくるが、どのような意味か。
4 「京都見廻組」に松代藩出身者がいるか。
- 回答
-
(1)真田幸民について
『松代』第2号 長野市教育委員会松代藩文化管理事務所 1989年 に収録されている鎌田雄次郎氏の論文「廃藩置県前後と真田幸民公」冒頭部分に、「松代藩最後の藩主真田家第十代真田幸民公の廃刊置県前後における動静の一端を、真田宝物館所蔵の『御日記』中の『慶応二寅年御日記正月より十二月迄南天祐筆間』(中略)から伺い取った事をまとめ」とあります。
ただし、この日記は引用されている記述から、幸民自身の日記ではなく藩の執務記録と思われます。また、この論文にも京都での滞在に関する詳細な記載はありません。
真田宝物館にも照会されていると伺っておりますので、上記日記については回答があったかと存じますが、当館ではその内容は確認できません。
(2)奥村良蔵について
御確認済みかとも存じますが、『真田家家中明細書』国立史料館/編 東京大学出版会 1986年 【N280/138】 の68ページに「奥村良蔵」という人物が記載されています。
文久2年3月4日に「御役替御側御右筆」になっているので、お尋ねの人物と同一と思われます。生没年や家族の記載はありませんが、明治期に作成されたと思われる明細書の記載を典拠としており、「卯四十三才」と記載されています。
明細書の作成年は不明とされていますが、奥村良蔵の記載が明治3年までであることを考えると、明治初期に作成され、天保2年(1831年)の卯年が生年の可能性があると思われます。
また、この奥村良蔵は、万延元年閏3月28日に良作から良蔵に改名しています。
『松代町史 下巻』大平喜間多/著 松代町役場 1929年 【N212/236/2】の82ページに種田流平田派の槍術家として奥村良蔵の名が見えますが、上記奥村良蔵との関連は不明です。
『更級郡埴科郡人名辞書』信濃教育会更級教育部会・信濃教育会埴科教育部会/編・発行 1939年 【N280.3/2-1】(1978年象山社による復刻)の74ページには「奥村良貞」という「槍術家」の項があり、「通称良作」とありますが、生年(文化10年)とされています。こちらについてもお尋ねの人物との関連は不明です。
(3)御用席について
各種の国語辞典、日本史事典、古文書で使用される用語辞典、データベース等を確認しましたが、「御用席」という語は見つかりませんでした。
松代藩では家老職の執務空間を「御用部屋」としていたよう(『近世大名のアーカイブズ資源研究』国文学研究資料館/編 思文閣出版 2016年 【N212/548】)ですので、席次における家老の席、あるいは家老職そのものを指す可能性は考えられます。
(4)松代藩出身の京都見廻組について
当館では京都見廻組に関する資料は所蔵が少なく、また『松代町史』などには京都見廻組に関する記載が見られません。
市居浩一「京都見廻組の概要」(『霊山歴史館紀要』第2号 霊山顕彰会霊山歴史館/編集・発行 1989年 収録。「国立国会図書館デジタルコレクション」で確認)には、「見廻組は、その三年半の歴史を通じて、一人の浪士も、また一人の藩士も召抱えていない」(16ページ)とあります。
松代藩出身者はいなかったのではないかと思われます。
- 回答プロセス
-
1について
(1)当館所蔵資料を「幸民」をキーワードとして調査。
回答記載の論文が見つかり内容を確認。
(2)レファレンス協同データベースの当館の登録事例(「松代藩真田家10代「真田幸民」の伝記、エピソードがある本や雑誌があるか。」https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000103073 )記載の資料等を確認。
いずれにも依頼への詳細な回答となる記載なし。
2について
(1)松代藩士の人物調査に良く使用する『真田家家中明細書』を確認。履歴から依頼の人物と同一と思われる人物は掲載されているが、生年、家族等の記載はない。
(2)その他松代藩士の記載があると思われる資料を確認。同じ名前の人物は記載されているが、同一の人物化かは不明。
3について
(1)国文学研究資料館ウェブサイトの「電子資料館」から「収蔵歴史アーカイブズデータ」で「信濃国松代真田家文書」を対象として「御用席」をキーワード検索。この語が使用されているいくつかの文書名が確認できる。
(2)『松代藩庁と記録』国文学研究資料館/編 名著出版 1998年 当館請求記号【N212/327】巻末に役職名索引があるが、ここには記載がない。
(3)当館所蔵の国語辞典、日本史事典、古文書で使用される用語辞典、データベース等を検索するが記載なし。
(4)松代藩・真田家も文書を分析した『近世大名のアーカイブ資源研究』収録の論文を確認。「御用部屋」の記載はある。
4について
(1)当館資料の松代藩関係資料には京都見廻組に関する記載なし。
(2)「国立国会図書館デジタルコレクション」で検索したところ、「見廻組は、その三年半の歴史を通じて、一人の浪士も、また一人の藩士も召抱えていない」とする上記論文が見つかる。
【追記】2017年7月11日
国立国会図書館レファレンス協同データベース事業サポーター 寺尾様から以下のコメントをいただく
以下コメント部分
登録日時:2017/06/21 20:10 更新日時:2017/06/21 20:10
こんにちは
東京大学史料編纂所データベースの維新史料綱要データベースを
真田幸民で検索し、下記の検索結果がありました。
東京大学史料編纂所データベース http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/
維新史料綱要データベース
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 366頁
【和暦年月日】 慶応2年3月9日(18660030090)
【綱文内容】 松代藩主真田幸教「信濃守」病を以て致仕し、養子幸民「保麿・後信濃守・伊達宗城次子」家督を継ぐ。幕府、幸民に夏期京都宿衛を命ず。
【人名】 真田幸教,真田幸民,真田保麿,伊達宗城
【官職】 松代藩主,信濃守,信濃守
【地名】
【事項】 幕府,京都警備,致仕,襲封
【備考1】 2490/034
【備考2】 KE052-0399
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE052/0399?m=all&s=0399
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 444頁
【和暦年月日】 慶応2年5月9日(18660050090)
【綱文内容】 松代藩主真田幸民「保麿・後信濃守」夏期京都宿衛の為、京都に至る。
【人名】 真田幸民,真田保麿
【官職】 松代藩主,信濃守
【地名】 京都
【事項】 京都警備,入京
【備考1】 2553/006
【備考2】 KE064-0298
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE064/0298?m=all&s=0298
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 463頁
【和暦年月日】 慶応2年5月28日(18660050280)
【綱文内容】 新発田藩主溝口直溥「主膳正」・松代藩主真田幸民「信濃守」、参内、太刀並馬代を献ず。天顔を拝し、天盃を賜はる。
【人名】 溝口直溥,真田幸民,孝明天皇
【官職】 新発田藩主,主膳正,松代藩主,信濃守
【地名】
【事項】 参内,天盃,太刀,馬代,進献,天顔
【備考1】 2565/027
【備考2】 KE066-0492
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE066/0492?m=all&s=0492
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 480頁
【和暦年月日】 慶応2年6月12日(18660060120)
【綱文内容】 高知藩主山内豊範「土佐守」名代山内整之助「豊章」・米沢藩世子上杉茂憲「式部大輔」・松代藩主真田幸民「信濃守」、参内、天機を候ず。
【人名】 山内豊範,山内整之助,山内豊章,上杉茂憲,真田幸民
【官職】 高知藩主,土佐守,高知藩士,米沢藩世子,式部大輔,松代藩主,信濃守
【地名】
【事項】 参内,天機
【備考1】 2575/090
【備考2】 KE068-0582
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE068/0582?m=all&s=0582
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 519頁
【和暦年月日】 慶応2年7月8日(18660070080)
【綱文内容】 幕府、大垣藩主戸田氏共「助三郎」の秋季京都宿衛を免じて広島征長軍糧食の護衛を厳にせしめ、姑く新発田藩主溝口直溥「主膳正」・松代藩主真田幸民「信濃守」の満期帰藩を留めて、之に代はらしむ。尋で、直溥の建礼門警守を罷め、忍藩主松平忠誠「下総守」をして之に代へ、直溥・幸民に朔平門警守を命ず。
【人名】 戸田氏共,戸田助三郎,溝口直溥,真田幸民,松平忠誠
【官職】 大垣藩主,新発田藩主,主膳正,松代藩主,信濃守,忍藩主,下総守
【地名】 広島,京都
【事項】 幕府,京都警備,征長軍,帰藩,建礼門,朔平門,征長,糧食,萩藩征討
【備考1】 2613/001
【備考2】 KE075-0006
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE075/0006?m=all&s=0006
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 534頁
【和暦年月日】 慶応2年7月19日(18660070190)
【綱文内容】 幕府、新発田藩主溝口直溥「主膳正」・松代藩主真田幸民「信濃守」の夏季京都宿衛満期後仍ほ滞京の命を蒙るも、各帰藩を請へるを以て、朝旨を候す。是日、之を聴し、各重臣をして代りて滞京警衛の事に服せしむ。
【人名】 溝口直溥,真田幸民
【官職】 新発田藩主,主膳正,松代藩主,信濃守
【地名】 京都
【事項】 幕府,京都警備,帰藩,朝旨
【備考1】 2624/074
【備考2】 KE077-0384
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE077/0384?m=all&s=0384
【区分】 維新史料綱要
【編/冊/頁】 6巻 542頁
【和暦年月日】 慶応2年7月23日(18660070230)
【綱文内容】 松代藩主真田幸民「信濃守」夏季宿衛満期に依り、忍藩主松平忠誠「下総守」秋季宿衛就役に依り、各参内す。天顔を拝し、天盃を賜はる。尋で「八月三日」 幸民、帰藩の途に就く。「十六日帰城す」。○新発田藩主溝口直溥京都宿衛満期、暇を賜はるも、疾を以て参内せず。二十六日、帰藩の途に就く。
【人名】 真田幸民,松平忠誠,溝口直溥,孝明天皇
【官職】 松代藩主,信濃守,忍藩主,下総守,新発田藩主
【地名】
【事項】 京都警備,参内,帰藩
【備考1】 2632/040
【備考2】 KE078-0839
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/M00/M/20/KE078/0839?m=all&s=0839
以上、ご参考になれば幸いです。
以上コメント部分。
『維新史料綱要』は当館でも所蔵しており、各記載を確認した。
- 事前調査事項
-
御自身で真田宝物館へ問い合わせたり、インターネットで調査をされたとのこと。
- NDC
-
- 個人伝記 (289)
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
-
- 真田幸民
- 松代藩
- 京都見廻組
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000215827