レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年01月08日
- 登録日時
- 2016/01/08 13:51
- 更新日時
- 2016/01/08 18:24
- 管理番号
- 093
- 質問
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解決
尼崎藩主だった戸田氏の家紋を知りたい。
- 回答
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尼崎藩初代藩主戸田氏鉄は、元和3年(1617)7月、近江国膳所3万石から5万石で尼崎に入部しました。寛永12年(1635)にさらに5万石の加増を受け、10万石の大名として美濃国大垣に転封します。「築城巧者」として尼崎藩主時代は、幕命により尼崎城を築城したほか、大坂城の石垣の修復普請に普請奉行としてたずさわりました。
江戸時代、家紋は、武士の家格の表徴とされました。賜与や奪取、婚姻などの理由で単一の家に二個ないし数個の家紋が作られました。家紋は多くもってもよいという風潮から、家紋に代えてその家に関係のない紋を用いることがありましたが、それらは「通紋」「無駄紋」「ただの紋」などと呼ばれました。(「紋章」『日本史大事典』6 平凡社)
大名家の家紋・家系は、一般的には『姓氏家系大辞典』『寛政重修諸家譜』等によって調べることができます。戸田氏の紋は、『姓氏家系大辞典』等を参照すると九曜です。ほかに替紋(裏紋)として三柏・菊菱・七星・蛇目などがありました。
- 回答プロセス
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戸田氏鉄の使用していた紋が知りたいということであったので、『姓氏家系大辞典』第二巻(3970頁)から、氏鉄につながる「一西流戸田氏」の項を参照し、回答。
1 戸田氏の家紋について調べることができる文献
◆太田亮著『姓氏家系大辞典』第1~3巻(角川書店、1973)
姓が五十音順に掲載されており、検索しやすい。家紋の図が掲載されている。
◆『新訂寛政重修諸家譜』(続群書類従完成会、1965)
戸田氏は第14巻374頁~掲載。系図の末尾に家紋に関する記述がある。図は記されていない。
氏鉄に連なる系譜は、はじめ六星を用いていたが、氏鉄の時九曜に改めたという。
◆『新訂寛政重修諸家譜 家紋』
『寛政重修諸家譜』に記載されている家紋をまとめたもの。図が記されている。
◆橋本博編『改訂増補 大武鑑』上・中・下巻(名著刊行会、1965)
大名・旗本や幕府の役人が一覧できる武鑑を集成。図が記されている。
2 家紋・紋章に関する文献
◆沼田頼輔『日本紋章学』(新人物往来社、1972)
◆能坂利雄『家系と家紋』(新人物往来社、1971)
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
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- 太田 亮 , 角川書店, 1973. (姓氏家系大辞典) (当館請求記号 288/オ)
- 堀田, 正敦, 1755-1832 , 堀田正敦 等編. 寛政重修諸家譜 新訂. 続群書類従完成会, 1965. (当館請求記号 288/ハ)
- 橋本 博/編. 改訂増補 大武鑑 . 名著刊行会, 1965. (当館請求記号 288/ハ)
- 沼田頼輔 著 , 沼田, 頼輔, 1867-1934. 日本紋章学. 人物往来社, 1972. (当館請求記号 288/ヌ)
- 能坂利雄 著 , 能坂, 利雄, 1922-1991. 家系と家紋. 新人物往来社, 1971. (当館請求記号 288/ノ)
- キーワード
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- 家紋
- 戸田氏
- 尼崎藩主
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000186853