レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月26日
- 登録日時
- 2013/12/26 21:45
- 更新日時
- 2013/12/26 21:50
- 管理番号
- 20131226-4
- 質問
-
解決
胴丸について知りたい。
- 回答
-
胴丸 【どうまる】
http://kotobank.jp/word/%E8%83%B4%E4%B8%B8 (2013/12/26確認)
世界大百科事典 第2版
どうまる【胴丸】
中世の甲(よろい)の一種。胴の前後を覆って,右脇で深く引き合わせ,裾に8枚の草摺(くさずり)を付属する。札(さね)とよぶ牛の撓革(いためがわ)または鉄の小片を横につらねてつづり合わせ,さらに縦に胴まわりを衡胴(かぶきどう)といって4段,立挙(たてあげ)といって正面上部の胸板につづく2段と背面上部の押付(おしつけ)につづく3段,草摺を5段,それぞれ革緒や糸の組緒で札を1枚ずつ細かに威(おど)しつけるのを常とする。
デジタル大辞泉
どう‐まる 【胴丸/▽筒丸】
中世の鎧(よろい)の一。胴を丸く囲み、着用の際の引合(ひきあわせ)を右側に設けた歩卒用の簡便な鎧。活動に適すように草摺(くさずり)を8枚に分け、本来は袖や兜(かぶと)は具備されない。その機能と構造は、当世具足に受け継がれ、近世の甲冑(かっちゅう)に影響を与えた。
日本大百科全書(ニッポニカ)
胴丸
どうまる
日本甲冑(かっちゅう)の一様式。騎射戦用の甲冑として発達した大鎧(おおよろい)に対し、徒立(かちだち)の打物(うちもの)戦用に考案された軽便な甲冑で、平安中・後期の成立と考えられる。おもに中世に用いられたが、初期にはもっぱら徒立の下卒に着用され、あるいは上級武士が軽快に出(い)で立つときに装束の下に着籠(きご)められた。構成は、立挙(たてあげ)前二段・後三段、長側(ながかわ)(衡胴(かぶきどう))は四段で、体を囲むように丸くつくり、着用の際に体を入れる引合せは右側に設ける。引合せは後胴を上にして打ち重ねるのが特徴で、草摺(くさずり)は歩行時の足さばきを考慮して八間に割り、五段下がりを普通とする。肩上(わたがみ)は長く柔軟な蔓綿噛(つるわたがみ)である。原則として兜(かぶと)と袖(そで)は具さず、袖のかわりに杏葉(ぎょうよう)という独特の形をした掌(てのひら)大の小板を肩上につけて肩先の防護とした。ただし、この様式は古く腹巻と称した。中世の記録、軍記物語の記述および絵巻物の描写の示すところである。のちに、おそらく、中世末期から近世初頭へかけての甲冑の変革期に、名称に混乱がおこり、胴丸とよばれていた背面を引合せとするいっそう軽便な甲冑と、名称が交替したものと考えられる。・・・
国史大辞典
胴丸
どうまる
中世の歩兵用の簡略な胴甲の一種。札(さね)仕立て威しつけで胴体に丸く巻きつけたので「どうまろ」ともいう。筒丸・同丸とも書く。腹に巻きつけることによる胴甲の腹巻も同意であり、引合(ひきあわせ)の位置のほかは全く同形である。ただ胴丸の用語の使用は平安時代にさかのぼらず、以前は騎兵用の鎧のほかは腹巻ばかりであり、胴丸の用語は鎌倉時代以降であり、それも僅少である。周知の出典は『源平盛衰記』衣笠合戦に「弓よく射る者共は冑を著させ、腹巻・腹当・筒丸などを著て」とみえるだけで、ほかは『種々御振舞御書』に文永八年(一二七一)九月十二日の日蓮召捕りの兵士に「胴丸着せて、烏帽子がけして」と伝えるにすぎない。・・・
[参考文献]
鈴木敬三『甲冑写生図集』解説、同「腹巻の名称と構造」(『国学院雑誌』六三ノ一〇・一一合併号)、同「腹巻・胴丸・腹当考―文献所見の名称と構造―」(『国学院高等学校紀要』一六)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 9版)
- 金工芸 (756 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 甲冑
- 武具
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000142466