レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/2/16
- 登録日時
- 2006/12/08 02:12
- 更新日時
- 2024/03/30 00:31
- 管理番号
- M06081113553706
- 質問
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雄町米について知りたい。
- 回答
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『岡山県大百科事典』によれば、酒米の一つで岡山市雄町の岸本甚造が伯耆大山の牛馬市の帰途、発見したのが始まりとする。『赤磐雄町米・浪漫記稿Vol.1』によれば二つの穂を持ち帰ったところから当初は「二本草」と呼ばれていたという。また『まんが赤磐雄町物語』によれば発見は1859(安政6)年のことで、雄町米(初期は雄町撰)の呼称は岸本甚造が亡くなって間もない明治頃からであった。初期の雄町米の概観については岸本甚造の顕彰とあわせて『高島村史』にも記事がある。『まんが赤磐雄町物語』等によれば雄町米の特色は背が高く、大粒であることが挙げられている。雄町米が酒米として積極的に生産されるのは大正時代からで、昭和14年には作付面積3312haを数えた。しかし戦後は栽培の困難さや収穫量の少なさに加え、背が高いがために機械化に適しなかったこともあり、激減し、昭和50年には作付面積はわずか6haにまで落ち込んだ。その後、酒米として再評価されるようになり、現在では山田錦などと並ぶブランドになっている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 食品.料理 (596 9版)
- 参考資料
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岡山県大百科事典編集委員会編『岡山県大百科事典 上』山陽新聞社,1980.
高瀬斉『まんが赤磐雄町物語』利守酒造,1992.
『赤磐雄町米・浪漫記稿 Vol.1』利守酒造,1992.
岡山市高島学区連合町内会編『高島村史』岡山市高島学区連合町内会,1989.
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岡山県大百科事典編集委員会編『岡山県大百科事典 上』山陽新聞社,1980.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2006081113534653706
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000032222