レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/01/23
- 登録日時
- 2019/03/31 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:40
- 管理番号
- M18120817390577
- 質問
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後楽園に中村憲吉の「春さむき梅の疎林をゆく鶴のたかく歩みて枝をくぐらず」の碑があるが、後楽園とどのような関係があるか。碑が建てられた経緯について知りたい。
- 回答
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資料①『きび野;岡山県郷土文化財団会報 第61号』資料②『平成13年年1月31日山陽新聞』によると中村憲吉は昭和3年2月中旬、岡山医大を訪れる夫人に同道して来岡、憲吉に師事していた上代皓三岡山医科大助教授の案内で後楽園を廻り、碑の歌はその時に詠まれたとしている。
また資料③『歳月の記』の上代皓三の寄稿によると、中村憲吉の妻は倉敷の大原孫三郎の妻と親戚であると書かれている。
資料②では「昭和31年、杉氏らが顕彰の歌碑を建立した」と記されているが、資料④『岡山の文学碑』によると歌碑は宇野善三氏の提唱で歌人数氏の努力により昭和36年に作られたとある。岡山後楽園ホームページでは「昭和31年9月2日除幕」としている。当時の新聞記事には関係する記事はなし。資料⑤『樹林 第4号』では、「昭和31年9月2日に除幕式があり、山陽テレビが全国放送をし、碑を前に杉先生が瓢箪で酒を飲み交わす模様が映ったとのことだ」と書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 資料①『きび野
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岡山県郷土文化財団会報 第61号』岡山県郷土文化財団会報,1996,p.8
資料②『平成13年1月31日山陽新聞朝刊』p.22
資料③『歳月の記』山陽新聞社,1971,469p. 参照はp.156-157
資料④ 山本遺太郎『岡山の文学碑』日本文教出版,1976, 参照はp.24-26
資料⑤『樹林 第4号』野上洋子,2012,p.31
- キーワード
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- 春さむき梅の疎林をゆく鶴のたかく歩みて枝をくぐらず
- 杉鮫太郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2018120817395390577
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000254185