レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/08/26
- 登録日時
- 2019/03/27 00:30
- 更新日時
- 2019/03/27 15:39
- 管理番号
- 茨城-2018-115
- 質問
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解決
明治の初めに,政府は1年以上の期間をかけて,政府中枢を欧米に派遣しているが,王政復古の功労者である西郷隆盛は,なぜ使節団に入らなかったのか。
- 回答
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明治初めの欧米使節団 = 明治4年(1871)11月~明治6年(1873)9月 岩倉使節団
特命全権大使:右大臣岩倉具視,副使木戸孝允,大蔵卿大久保利通,工部大輔伊藤博文,外務少輔山口尚芳
『西郷隆盛事典』
p.21「留守を預かった西郷」との記述あり。
『西郷隆盛と明治維新』
「西郷頼りの欧米使節団」の項に,明治政府中枢の大半が,1年半も日本を空けられた理由として,「西郷隆盛が留守政府を預かるかぎり、使節団は本国のことを心配しないで済んだ」。との記述あり(p.155)。
- 回答プロセス
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(1) JapanKnowledgeにて,明治初めの使節団を確認
(2) 西郷隆盛について書かれた図書を確認
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 西郷隆盛事典志村 有弘/編勉誠出版
- 西郷隆盛と明治維新坂野 潤治(1937~)/著講談社
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- クイック・レファレンス
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000253796