レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年09月01日
- 登録日時
- 2006/03/21 12:38
- 更新日時
- 2006/03/21 12:38
- 管理番号
- 市川20050901-06
- 質問
-
未解決
中山遠壽院の中山流祈祷法が、廃仏毀釈にもかかわらず、口伝して現在まで残った理由を知りたい。以下は、調べることができた範囲。
- 回答
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『明治維新 神仏分離資料』第1巻、3巻 名著出版 辻善之助ほか編。この資料には、千葉県の箇所に中山法華経寺関係資料の該当はなし。
インターネットで「廃仏毀釈」「神仏分離」等の項目で検索するが、正確な年数として神仏分離令廃止の記述がない。しかし、検索中、廃仏毀釈の流れの参考となる論文があった。『明治維新期における学校教育と神仏分離』(古賀徹 日本大学文理学部人文科学研究所紀要『研究紀要』第59号、2000年1月)これらの論文、資料を参考にすると明治8年ごろから寺院復興の兆しがあり、明治10年あたりまでに法令が出された可能性が考えられる。(廃仏毀釈とは、明治維新後に成立した新政府が1868年(明治元年)3月に発した太政官布神仏分離令、1870年(明治3年)の大教宣布など、神道国教・祭礼一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。)
千葉県文書館に明治8年から10年位の範囲で太政官符、もしくは県令として神仏分離令廃止事項らしきものが出されていないか確認依頼=>千葉県の県令布達(原本のコピー活字体)の調査。明治8年の乙号、丙号1月~6月分のみ確認したが、それらしき布達はなし。(7月~12月は未所蔵)法令全書で確認するが、記述なし。
文書館職員の話によると廃止の伝達は口伝(くでん)で行われたのではないか。口達(こうだつ)とも呼ぶらしい。確認した明治8年の半年分に口伝は140件もあり。この時代は口伝が多かったらしい。
『中山法華経寺誌』中山法華経寺誌編纂委員会/編 同朋社出版 1981年、『日蓮宗の祈祷法』宮崎英修/著 平楽寺書店 1993年(ともに市川中央)これらの資料でも中山流祈祷法が現在まで残った理由の記述なし。
深く掘り下げる場合、遠壽院が所蔵している由緒、古文書等にあたらないと不可能と思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 中山法華経寺(千葉県)
- 廃仏毀釈
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000027881