レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年7月5日
- 登録日時
- 2017/06/28 13:02
- 更新日時
- 2017/07/14 08:32
- 管理番号
- 県立長野-17-040
- 質問
-
未解決
紅茶製造で「萎凋・withering」という重要な前処理が行われるが、この「withering」を「萎凋」と翻訳した経緯を知りたい。
- 回答
-
紅茶製造で、英語の「withering」に該当する過程を「萎凋」と翻訳した経緯の詳細は判明しませんでした。
『茶の世界史』角山栄 著 中央公論社 1980年 【619.8/ツサ】によると、日本政府は明治7年(1874年)3月に内務省勧業寮農政課に製茶掛を設置し、同年『紅茶製法書』を府県に配布し、紅茶の製造を奨励しています。
同書を所蔵する静岡市立中央図書館に照会したところ、以下の回答がありました。
「全17丁の和書ですが、その2~4丁目に「紅茶製法第一」という章があります。
そこで生茶を摘んだ後の手順が書かれているのですが、「萎凋」という語はでてきませんで
した。
『其第一ハ摘ミシ生マ茶ヲ其侭上ニ厚サ四五寸許リニ拡ケ凡ソ一時間炎天ナレハ一
時間常例ノ晴レナレハ一時半程太陽に曝シ度々上ヘヲ下タヘ交返シ・・・」といった文
章で工程の説明をしていますが、その工程のことを○○という、といった書かれ方はしてお
りません。」
「国立国会図書館デジタルコレクション」で閲覧できる、製茶に関する資料を確認したところ、「萎凋」という語の使用は次のようになっています。
・『茶業必要. 下』上林熊次郎, 江口高廉 編 (上林熊次郎[ほか], 1877)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838832
(23コマで生茶を摘んだ後の工程を解説。「萎柔」という語を使用)
・『茶務僉載』胡秉枢 著[他] (内務省勧農局, 1877)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838843
(38コマで生茶を摘んだ後の工程を解説。「柔嫩」という語を使用)
以上2冊では「萎凋」が使用されていません。
・『紅茶製法纂要 上』多田元吉 著 (勧農局, 1878)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/838326
(19コマで「萎凋」を使用)
・『紅茶説 三』羅尼爾摩尼 著[他] (勧農局, 1878)
著作権の制限によりインターネット公開はされていませんが、21コマで「萎凋」という語が使用されていることを確認しました。
上記『紅茶製法纂要』同様、「新法」と「古法」を比較した記載です。
政府は明治8年に中国から紅茶製造の指導者を招いていますが、上記のように明治10年=1877年の出版物では「萎凋」は使用されていません。
明治11年=1878年発行の2冊で「萎凋」が使用されていることを考えると、両書で著者あるいは評註者となっている多田元吉氏がこの語の使用に何らかの役割を果たした可能性は考えられます。
多田氏は勧業寮に仕官し、明治8年11月から翌9年1月まで中国に、明治9年3月から翌10年2月までインド、中国に製茶法などの視察に派遣された人物です。
しかし、多田氏の伝記である『茶業開化 明治発展史と多田元吉』川口国昭・多田節子著 全貌社 1989年(長野市立長野図書館所蔵)には、萎凋という語を含め紅茶製造の過程の用語に多田氏が果たした役割についての記載はありませんでした。
視察の記録は、農務に関する史料集『農務顛末 第2巻』 農林省 1954年 【612.1/66】(「茶業」を収録)に収録されていますが、明治9年9月19日の項に「萎凋法ハ滴下ス鮮葉ヲ平籃或ハ蓆等ヘ薄ク散布シ」とあり、この時点で「萎凋」が使用されていることは確認できます。
また、『茶業開化』では上記『紅茶説』の翻訳者は、インド視察に通訳として同行した梅浦精一氏としています。梅浦はインド渡航の前年に紅茶に関係のある英文技術書5冊を翻訳(未刊行)した、という記載がありますが、これらの内容を確認することはできませんでした。
- 回答プロセス
-
1 『日本国語大辞典 第1巻 第2版』日本国語大辞典第二版編集委員会,小学館国語辞典編集部 編 小学館 2000年 当館図書請求記号【813.1/シヨ】を確認。1117ページに「萎凋」の項があるが、紅茶の製造に関する記載はない。『大漢和辞典 巻九 修訂版』諸橋徹次 著 大修館書店 1985年 【813/60a/9】735ページ「萎凋」の項も同様。
2 紅茶、茶に関する当館所蔵図書を確認。
上記辞典類の定義のように、茶葉を摘んだ後、太陽光にあてるなどして水分を抜く工程のようだが、「萎凋」を含めて製造工程の用語の歴史に触れたものは見つからない。
3 「国立国会図書館デジタルコレクション」で紅茶製造に関する古い図書を確認。明治11年以降の図書では、工程の名称として「萎凋」が確認できる。
4 『茶の世界史』角山栄著 中央公論社 1980年 【619.8/ツサ】が日本の紅茶製造の歴史に触れ、明治7年の『紅茶製法書』を紹介している。
この図書を所蔵している静岡市立中央図書館様へ内容紹介し、上記の回答をいただく。
5 『茶の世界史』をはじめとして多くの資料で名前が見られる多田元吉に関する資料を他館所蔵も含め検索。『茶業開化 明治発展史と多田元吉』川口国昭・多田節子著 全貌社 1989年 があり、長野市立図書館で所蔵しているので借用。内容を確認するが、「萎凋」使用の経緯に関する記載なし。
6 『茶業開化』記載の参考文献で、当館所蔵、デジタル化されて閲覧できるもので、明治期の勧業、茶業に関するものを確認。
『茶業開化』で引用されている視察の記録は『農務顛末 第2巻』で確認できるが、「萎凋」の日本語文献の初出がこの多田氏の視察記録なのかは確認できなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 農産物製造.加工 (619)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
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- 静岡市立中央図書館様
- 長野市立長野図書館様
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000218005