レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/9/13
- 登録日時
- 2014/02/01 00:30
- 更新日時
- 2014/02/01 13:49
- 管理番号
- 北方 13-0088
- 質問
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解決
江戸時代にオホーツク海で漁業権を得ていたのは「又十(屋号) 藤野」であったそうなので、この人物が漁業権を得ていたのはいつ頃なのか知りたい。
おそらく、宗谷場所ではないか。斜里場所に分かれるまではおそらく松前藩が許可していたものと、推測される。
斜里場所になってから、即ち箱館奉行が出来てからは、直轄領として幕府が権利を出していたので、時期としてはその前と思われる。
- 回答
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『松前蝦夷地場所請負人制度の研究』(白山友正著 巌南堂書店 1971 請求記号:332.104/SH)の網走場所、斜里場所、宗谷場所の項によると、オホーツク海沿岸の漁場については、安政2年(18855年)に西蝦夷が幕府直轄領となり、網走場所が安政3年(1859年)に幕府の直轄領として残り、斜里場所から分離した。斜里場所は寛政2年(1790年)に宗谷場所より、分設された。
従って、時代によって宗谷場所、斜里場所、紋別場所、網走場所で藤野家がいつ請負人になっているのかを見る。
宗谷場所については、p.822に場所請負人の系譜が載っており、文化5年(1808年)に栖原三右ヱ門、伊達林右ヱ門とともに斜里・宗谷場所の請負人となっている。(p.818、853にも記述あり)
網走場所の請負人についても、安政3年当時は藤野伊兵衛が場所請負人である記述がある(p.845)
『網走市史 上』(網走市史編纂委員会編 網走市 1958 請求記号:211.61/A/1)のp.655に文化5年に宗谷・斜里場所の請負が始まると記述されている。その記述によると、「『藤野家履歴調』によれば、この年「ソウヤ・エサシ・モンベツ・トコロ・アバシリ・シャリの6ケ所を組合漁業請負を出願、許可さる。該組合人名は、江州八幡の支店西川准兵衛・越後宮川村坪田佐兵衛、福山枝ヶ崎町藤野喜兵衛、以上3人なり。」とある。
北海道立文書館でこの藤野家の家分け文書を所蔵している。その藤野家の目録に付属している資料の中にある「またじゅう柏屋藤野 営業略年表」の中にも、漁業の項で「1808(文化5) 北見国宗谷、江差、紋別、常呂、網走、斜里の各郡」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北海道地方 (211 7版)
- 参考資料
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- 1 網走市史 上巻 網走市史編纂委員会∥編 網走市 1958 211.61/A/1
- 2 松前蝦夷地場所請負制度の研究 白山友正∥著 巌南堂書店 1971 332.104/SH
- 1 藤野家文書を読む 加納 信美∥著 加納信美 2003 210.088/F/イ
- 2 北海道漁業史 北海道水産部漁業調整課∥編集 北海道漁業制度改革記念事業協会∥編集 北海道水産部漁業調整課 1957 660.21/HO
- キーワード
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- 又十藤野
- 場所請負人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事項調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000148764