レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年12月02日
- 登録日時
- 2011/12/02 15:06
- 更新日時
- 2012/06/02 15:51
- 管理番号
- 001
- 質問
-
解決
地名「崇徳院」の由来について知りたい。
- 回答
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1 現在の地名について
「崇徳院」は近世以来の小字名で、大字浜田(近世の浜田村)の一部でした。現在の尼崎市崇徳院1~3丁目付近の一部にあたります。
2 伝承では
「崇徳院」という地名の由来として、保元の乱ののち、讃岐国に配流される崇徳上皇が浜田で休息したゆかりによるという伝承があります。
3 史実として
(1) 保元の乱後、勝者である後白河院によって、崇徳院の霊を祀り鎮める粟田宮が京に建てられ、その粟田宮へ寄進された荘園のひとつが浜田荘であったこと
(2) 「崇徳院」の地に近い松原神社(現尼崎市浜田町)の相殿神として、崇徳院がまつられていること
が確認できます。
- 回答プロセス
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1 一般的な地名の調べ方
(1) 大字の場合→『角川日本地名大辞典』、『日本歴史地名大系』(平凡社)により調べることが可能。
尼崎市内の大字の場合、『尼崎地域史事典』、『尼崎の地名』及びWeb版尼崎地域史事典"apedia"により調べることが可能。
(2) 小字の場合→上記の辞典では検索できない。
今回は「崇徳院」という著名な人物の名前を冠した地名であったため、上記文献のうち『角川日本地名大辞典』に記述があった。
2 文献上の記述個所
(1) 辞典類
◆『角川日本地名大辞典28兵庫県』1,206頁の「浜田」の項目
◆『国史大辞典』第8巻130頁 「崇徳天皇」の項目
(2) 自治体史(村誌、市史)
◆『大庄村誌』263頁の「宿禰塚」の項目
→社寺の項目のうち墳墓の項目に「宿禰塚」という項目があり、そこに武内家の文書が紹介されている。そのなかに、崇徳上皇に関する記述がある。
◆『図説尼崎の歴史』上巻91頁 /Web版 図説尼崎の歴史
中世編第1節 中世社会の形成4 平安末期の動乱と尼崎地域「浜田荘と地名「崇徳院」」
(3)その他
◆『みちしるべ』第34号 尼崎の伝説特集号2 「崇徳院と献膳」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『角川日本地名大辞典28兵庫県』角川書店、昭和63年発行 (当館請求記号 290/H/カ)
- 『国史大辞典』第8巻 吉川弘文館、昭和62年発行 (当館請求記号 203//コ-8)
- 『大庄村誌』大庄村教育調査会、昭和17年発行 (当館請求記号 219/A/オ)
- 『図説尼崎の歴史』上巻 平成19年発行 (当館請求記号 219/A/ア)
- 尼崎郷土史研究会会報『みちしるべ』第34号 平成18年3月発行
- キーワード
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- 地名
- 兵庫県尼崎市
- 浜田
- 崇徳院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Web版 尼崎地域史事典"apedia"
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/
Web版 図説尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000097341