レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年09月23日
- 登録日時
- 2017/03/23 19:13
- 更新日時
- 2017/03/26 09:45
- 管理番号
- 千県中千葉-2016-5
- 質問
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千葉県の匝瑳地方に明治から大正ごろに盲学校があったときいた。そのことが書かれている資料。
- 回答
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匝瑳の盲学校関係について掲載されている資料を以下にご紹介します。(引用は旧字を新字にしました。)
【資料1】『六十年の歩み』([千葉県立千葉盲学校編] 千葉県立千葉盲学校 1972)
この資料は、千葉県立千葉盲学校の記念誌ですが、「発刊にあたって」に、「本校の六十年の歩みを中心に、本県の視覚障害教育の流れを全国の流れのなかでとらえることに努めましたが(後略)」と記述されているように、「第一章 創立前史」は「全国的な情況」、「千葉県の状況」という節で、盲教育の歴史が書かれています。p51-53に「匝瑳盲学校」の項目があり2頁ほどの記述があります。設立、閉鎖の箇所をご紹介すると、「最初は、全く寺子屋式の講習会であり、学校と呼ぶには程遠いものであった。このような経過の後、大正五年二月二十三日、「私立匝瑳鍼按協会学校」が設立された。」、「昭和六年、「匝瑳盲学院」への改称などを経て、昭和十四年戦火の拡大とともに閉鎖のやむなきに至った。」です。
この他、簡単に、組織、授業時間、講師について記述があります。
【資料2】『千葉県教育百年史 第1巻』(千葉県教育百年史編さん委員会編 千葉県教育委員会 1973)
p1341「匝瑳鍼按協会」の項目で、「明治四四年、新井けんがん、古川吉五郎、飯島けいぞう、栗山長太郎、増田百次等によって匝瑳鍼按協会が設立された。詳細は不明であるが、はじめ栗山、新井その他が自宅を教室として、点字、衛生、普通科を教えたといわれ、私塾的な体裁の講習会とでもいうべきものであったらしい。これは大正期にはいって学校組織となり、匝瑳郡下の盲教育にあずかって力があったといわれている。(前掲「六十年のあゆみ」)。」と4行程書かれています。
【資料3】『匝瑳郡誌』(匝瑳郡教育会編 崙書房 1976)
p66「盲人教育」の項目には2/3ページ程の記述があり、「本郡には匝瑳郡盲人鍼按協会なるものあり明治四十五年二月医師飯島慶蔵鍼按業新井慶岩等によりて創立せらる(中略)本会は大正四年十一月を以て更に盲人鍼按実習所を開設し益々盲生の教養に全力を尽すべきことを決議し尚進んで本郡に一の盲学校を設立して盲人子弟を教養せんことを企図し大正五年二月二十二日県の認可を受け私立鍼按協会学校を設立し生徒として盲人十名を収容し大正九年度に至りしに生徒として募集に応ずるもの少く維持困難なるを以て同校を閉鎖し以前の如く鍼按協会の講習会のみを存続せしむることゝし(後略)」と書かれています。
- 回答プロセス
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まず、教育史を調査しました。『千葉県教育史』にはみつからず、『千葉県教育百年史 第1巻』に記載があり、参考資料として千葉県立盲学校の記念誌『六十年の歩み』が挙げられていました。同校の他の記念誌には掲載がみつかりませんでした。次に地域史を調査しました。
調査したが記載がなかった資料。
『千葉県教育史 巻4』(千葉県教育会編 青史社 1979)
『新たな世紀を歴史に刻め 千葉県立千葉盲学校』(千葉県立千葉盲学校創立100周年記念事業記念誌編集委員会編 千葉県立千葉盲学校 2011)
『いま、さわやかに未来圏に吹け 千葉県立千葉盲学校創立80周年記念誌』(創立80周年記念誌編集委員会編 千葉県立千葉盲学校 1994)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 教育史.事情 (372 9版)
- 障害児教育[特別支援教育] (378 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『六十年の歩み』([千葉県立千葉盲学校編] 千葉県立千葉盲学校 1972)(9200101758)
- 【資料2】『千葉県教育百年史 第1巻』(千葉県教育百年史編さん委員会編 千葉県教育委員会 1973)(9200086025)
- 【資料3】『匝瑳郡誌』(匝瑳郡教育会編 崙書房 1976)(9200289135)
- キーワード
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- 盲学校
- 匝瑳郡
- 視覚障害者教育
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212527