レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/08/25
- 登録日時
- 2010/12/09 02:00
- 更新日時
- 2010/12/09 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-100251
- 質問
-
解決
1宮城県の旧国名を知りたい。2旧国名を冠した上州三碑のような碑はあるか。
- 回答
-
1 旧国名について
資料1 『郷土史事典 宮城県』 佐々久 1977年 昌平社 【K200/サ1】
巻末p.13「国・郡沿革略表」によると、
明治12年より前は古代より「陸奥国(むつのくに)」。
明治12年以降は、「陸前国(りくぜんのくに)」と「磐城国(いわきのくに)」となっています。
資料2 『宮城県地名考』 菊地勝之助 1970年 宝文堂 【K290.3/キ1】
pp.34-43「第二節 陸奥等の国名考」では
「和銅五年(712)には、(略)陸奥の地は太平洋方太平洋方面の陸奥国と日本海方面の出羽国とに分れ、陸奥国を奥州といい、出羽国を羽州と称した。」
とあります。
2 上野三碑のような古代の碑について
資料3 「三訂宮城名数」矢島玄亮 『宮城の名数と古碑』 東北大学附属図書館研究年報20別刷 1987年【K031/ヤ1-2】pp.1-73 所収
p.8に次の記載があります。 「奥州三碑(一名宮城三碑・宮城の三筆)。 多賀城碑(多賀城市)。頼賢碑(一名御(雄)島碑。松島)。蒙古碑(一名。燕沢碑。燕沢)。」
資料4 『宮城県百科事典』 河北新報社 1982年 【K031/カ2/タ】
p.649「たがじょうひ 多賀城碑」 「多賀城市市川字田屋場の多賀城南門跡の内側、県道に添う標高約17mの丘の上にある。(略)724年(神亀元)大野東人が多賀城を築き、762年(天平宝字6)藤原恵美朝?が修造したことを記し、併せて立碑の時をも示している。(略)」
p.1087「らいけんのひ 頼賢之碑」 「(前略)松島雄島にあり、瑞巌寺所有。1307年(徳治2)に匡心、孤連らが師の松島雄島妙覚庵主頼賢の徳行を後世に伝えようとして建てたもの。(略)」
p.1038「もうこのひ 蒙古之碑」 「仙台市燕沢の善応寺境内にある。宋の帰化僧円覚寺開山祖元によって、文永・弘安両役で戦没した元軍の亡魂を弔うため、弘安年間(1285年前後)建立したと伝えられ、「大乗妙典一字一石之碑」という。(略)」
なお、宮城県内の古碑については、次の資料に概ねまとめられています。
資料5 『宮城県史復刻版17(金石志)』 宮城県史刊行会 1987年 【K201/ミ1-2/17】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 郷土史事典宮城県. 佐々 久/編. 昌平社, 1977【K200.3/サ1】:
- 宮城県地名考. 菊地 勝之助/著. 宝文堂, 1970【K290.3/キ1/イ】:
- 宮城名数と古碑. 矢島 玄亮/著. [], 昭和【K031/ヤ1-2】:
- 宮城県百科事典. 河北新報社/編. 河北新報社, 1982【K031/カ2/エタ】:
- 宮城県史 第17巻. 宮城県史編纂委員会/編. 宮城県史刊行会, 1987【K201/ミ1-2/イ17】:
- キーワード
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- 奥州三碑
- 多賀城碑
- 頼賢碑
- 蒙古碑
- 陸奥
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000074878