レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/09/30
- 登録日時
- 2012/03/03 02:02
- 更新日時
- 2013/03/11 00:30
- 管理番号
- 滋2011-1590
- 質問
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解決
南滋賀町廃寺跡の概要を知りたい。
- 回答
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『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「大津市南志賀1丁目・2丁目にある白鳳時代~平安時代の寺院跡。1928年(昭和3)と38年(昭和13)に大津宮をさぐるの一環として大々的に発掘調査され、白鳳期創建の荘大な寺院であることが判明した。伽藍は中門の内側に東西両塔が、その北に金堂があって、これらは中門からでる回廊によってかこまれ、さらにその北には講堂、食堂がならぶ配置をとっている。塔、金堂の基壇(きだん)のまわりは瓦積みによって美しく化粧されていた。この伽藍配置はその後の調査により、西塔は西金堂に、食堂は僧房とみなされ、さらに僧房は講堂の東西にもある三面僧房の形をとり、いわゆる川原寺式伽藍配置の寺院とみられるにいたった。屋根にもちいられた瓦は、白鳳期のものとしては複弁系の川原寺式のものであるが、蓮華文方形軒瓦(通称サソリ文瓦)も検出され、平安時代の瓦も多く出土している。これらは西方の山裾にある榿木原瓦窯(はんのきはらがよう)で焼かれたものである。この寺院を天智天皇勅願による崇福寺跡とみる説、桓武天皇によって建立された梵釈寺とする説などあったが、現在は南滋賀にある逸名の寺、南滋賀町廃寺跡として国の史跡に指定されている。(後略)(林 博通)」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.703-704
- キーワード
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- 南滋賀町廃寺
- 埋蔵文化財-大津市
- 古代寺院
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102743