レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20071025
- 登録日時
- 2007/10/25 14:02
- 更新日時
- 2018/09/27 16:27
- 管理番号
- 7720
- 質問
-
高松城天守閣の解体が明治17年(1884年)となっているが、その根拠は。
当時は愛媛県時代。
- 回答
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次の資料では、天守が老朽化を原因として取り壊されたことは記述があるが、
何月頃などの詳細は記述がない。
・「史跡高松城跡保存修理工事報告書」
・「重要文化財高松城旧東之丸艮櫓移築修理工事報告書」
・「高松城の天守」
・「高松市史」昭和8年刊
・「高松城と栗林園」
・「史跡高松城跡玉藻公園」
・「日本城郭全集12」
・「日本城郭体系15」
その後、四国新聞平成19年10月24日付けで、
多和文庫(さぬき市志度の多和神社)所蔵の
「年々日記(明治17年4月)」に、天守閣解体が
記されていることが報じられた。
〔記事に掲載の日記の該当部分は次のとおり〕
「年々日記(明治17年4月)」
原文
4日 …高松の御城なる天守臺を此間よりこほちかかれりと聞けるか
けに半まてくつしたるを見る 何となうあハれにて思ハすも涙をのこへり…
(欄外)高松の天守臺を崩せるハいかなる故そ
記事には訳文も掲載あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 各種の建築 (526 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 高松城
- 香川県立文書館
- 香川県
- 「年々日記(明治17年4月)」
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 「年々日記(明治17年4月)」は当館に所蔵なし。隣の香川県立文書館で閲覧可能。
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000038415