レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170801
- 登録日時
- 2019/04/12 00:30
- 更新日時
- 2019/04/17 00:30
- 管理番号
- 徳郷20170802
- 質問
-
解決
モラエスが晩年交流のあった智賢尼が庵主をしていた「慈雲庵」について知りたい。慈雲庵は、北山町にあったらしい。慈雲庵廃庵のため東海寺がモラエスの永代供養を続けるという記事あり。(徳島日本ポルトガル協会のホームページより)
1.慈雲庵はどこにあったのか 2.慈雲庵近くの大谷梅林とはどこか。 3.所在地を示す記念碑などはあるか。
- 回答
-
1.慈雲庵について
a.『徳島市方上地区の歴史』(高田豊輝/著・発行 2007)p112 北山町蓑越の北側の山の中に江戸時代からあった方上の楽邦庵の末庵。開基の年代不明。p103 智賢尼没後、東海寺住職鷲野宥恵氏がモラエスの供養をしていた。後段に『ふるさと阿波』(平成4年3月号)の記事「モラエスと小坊さん 鷲野宥恵氏の「聞き書き」から」の紹介あり。
b.『ふるさと阿波』(平成4年3月号 河野幸夫/編 阿波郷土会/発行)p45-45「モラエスと小坊さん 鷲野宥恵氏の「聞き書き」から」山下博之/著 p42より「慈雲庵は東海寺に属する庵であり、寺の東方五百メートルの所にある。」と記載あり。p41より、東海寺は、徳島市北山町上屋敷三番地となっている。
2.大谷梅林について
『徳島 わが町』(徳島わが町編集委員会/編 徳島市中央公民館 昭和49年)p241 大谷の梅林は、明治時代から多くの風流人の杖をひいた所で、紅葉山の南西、ため池の東の山一帯に見事な梅林があったが、現在はミカン畑になっていると記述あり。
3.所在地の記念碑については不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 伝記 (280 8版)
- 参考資料
-
- 徳島市方上地区の歴史 (T210タカ4112,103高田豊輝/著・発行 2007)
- ふるさと阿波 平成4年3月号 (T205アワ242河野幸夫/編 阿波郷土会/発行)
- 徳島 わが町 (T210トク6241徳島わが町編集委員会/編 徳島市中央公民館 昭和49年)
- キーワード
-
- モラエス 慈雲庵
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000254801