レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月24日
- 登録日時
- 2013/10/26 14:47
- 更新日時
- 2013/10/26 14:48
- 管理番号
- r146
- 質問
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解決
パミール高原が1896年、イギリスとロシアに分割吸収された。このことについて書かれた本はないか。
- 回答
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パミール高原については、以下の資料に解説等があります。
・『中央ユーラシアを知る事典』(小松久男/〔ほか〕編 平凡社 2005)
p434「パミール高原」に、「中央ユーラシアの南部に位置し、多くの山脈から構成される高地。(略)北部から西部はクルグズスタン、タジキスタン両共和国、東部は中国新疆ウイグル自治区、南部はアフガニスタンとパキスタンに属している。」とあります。
・『国際関係がわかる世界地図』(事典編集部/編 朝日新聞社 2006)
p69「アフガニスタン」の地図で、位置が確認できます。
当館所蔵資料で、パミール高原の歴史のみをテーマに書かれている資料は確認できませんでした。関連する記述が確認できた資料は、以下のとおりです。
・『中央ユーラシアを知る事典』(小松久男/〔ほか〕編 平凡社 2005)
p541-543「露清関係」の中に、「パミールに関しては、95年英露パミール協定によって英露およびアフガニスタンにより分割され、清の国境線はここでも後退した。」とあります(p542)※文中の「95年」は、1895年です。
・『露清帝国とカザフ=ハン国』(野田仁/著 東京大学出版会 2011)
18~19世紀における、中央アジアでのカザフ=ハン国、ロシア、清朝の関係について論じています。
・『中央アジアを知るための60章 第2版』(宇山智彦/編著 明石書店 2010)
中央アジア諸国と中国、ロシア帝国の関係を中心とした記述です。
・『岩波講座東アジア近現代通史 第1巻』(岩波書店 2010)
川島真/著「東アジア世界の近代」(p1-47)中の「六 内陸アジアの変容」に「露清によるトルキスタン分割」(p34-35)、柳澤明/著「ロシアの東漸と東アジア」(p79-103)等に、中央アジアについての記述が確認できます。
・『ロシア帝国論 19世紀ロシアの国家・民族・歴史』(高田和夫/著 平凡社 2012)
「第三章 第一節 東方への眼差し」等で、ロシアと中央アジアの関係について述べられています。
・『ロシアの歴史 ロシア中学・高校歴史教科書 上』(吉田衆一/監修 アンドレイ・クラフツェヴィチ/監修 明石書店 2011)
「ロシアと中央アジア」(p625-626)で、19世紀のカザフスタン周辺のロシア支配、及びそれに伴うイギリスとの対立について述べています。
・『ロシアの歴史 ロシア中学・高校歴史教科書 下』(吉田衆一/監修 アンドレイ・クラフツェヴィチ/監修 明石書店 2011)
「中央アジアにおけるロシアの外交政策」(p84-86)、「アレクサンドル3世のアジア政策」(p181-182)などで、19世紀後半の中央アジアにおけるロシア外交について述べられています。
・『アフガニスタンの歴史と文化』(ヴィレム・フォーヘルサング/著 前田耕作/監訳 内和也/監訳 明石書店 2005)
「第16章 英国との戦い」(p379-407)など、アフガニスタンから見た中央アジアの歴史が述べられています。
・『アフガニスタン 戦乱の現代史』(渡辺光一/著 岩波書店 2003)
「第二章 近代国家への模索(一八三九~一九七二)―イギリスとロシアのはざまで―」(p39-84)に、この時代の三国間の歴史が述べられています。
・『アフガニスタン史』(前田耕作/著 山根聡/著 河出書房新社 2002)
「3 アフガニスタン統一国家への道」(p77-89)の中で、「ロシアの南下とイギリスの抗争」等について述べられています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- アジアロシア (229 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- パミール高原
- 中央アジア
- ロシア史
- イギリス史
- 中国史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139610