レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/08/21
- 登録日時
- 2014/11/06 16:17
- 更新日時
- 2015/01/06 14:14
- 管理番号
- 埼浦-2014-061
- 質問
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解決
埼玉県内に所在していた軍事工場(施設)跡地の場所が知りたい。
- 回答
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跡地についてはまとまった資料は見当たらなかったが、軍需工場、軍事施設、戦後に軍需工場から民需工場へ転換していった経緯などが、以下の資料に掲載されていたので紹介した。
『埼玉県の歴史 県史シリーズ 11』(山川出版社 1979)
p246 軍事施設の分布図あり
『図説埼玉県の歴史』(河出書房新社 1992)
p253-254 「工業生産の軍需化と工場疎開」
軍需工場について記述あり
『あなたの知らない埼玉県の歴史 歴史新書』(洋泉社 2012)
p174-175 古墳時代の遺跡「吉見百穴」の地下になぜ軍需工場が作られたのか?
『新編埼玉県史 通史編 7 現代』(埼玉県 1991)
p188-193 民需生産の再開
戦後、軍需生産から民需生産へ転換していった記述あり
『埼玉県行政史 3 太平洋戦争終結から昭和三十四年まで』(埼玉県 1987)
p264-265 軍需から民需への転換
「県商工課の調査によると、終戦直前において県内には軍需工場として兵器重化学工場が950、軽工業が1,413工場あったが、昭和21年初頭において兵器重化学工場329工場、軽工業1,036工場が布地類、家庭用品、厨房用品、製粉、精米機、農機具工場などに転換した。」
『みて学ぶ埼玉の歴史』(山川出版社 2002)
p155 敗戦間際の県内軍事施設と空襲被害 図あり。
『埼玉県の百年 県民100年史 11』(山川出版社 1990)
p253-260 「あだ花の産業発展」軍需工場の記述あり
p256 軍需会社名簿(昭和19年1.4月)あり。『新編埼玉県史』資料編22より作成されている
p296 軍需産業から民需産業への転換について記述あり
『昭和史の埼玉 激動の60年』(さきたま出版会 1986)
p49-51 「国家総動員法と軍需産業化」
軍需施設について記述あり
『知っていますか埼玉と戦争 歴史発見ブックレット 1』(埼玉歴史教育者協議会 1995)
p114-117 軍需工場についての記述あり。
p118-121 吉見百穴の地下工場の記述あり。埼玉県内の地下工場・地下壕の所在地図あり
『比企 部報 第3号 比企地方の地下軍事施設』(埼玉県立滑川高等学校郷土部 1984)
平野清次著「埼玉の軍事施設調査-東京中央放送局新郷放送所・同第三放送所川口第一放送所」(『川口史林 61.62』p2-22 川口市郷土史会 1999.3)
松岡淳一著「熊谷の旧軍事施設」(『熊谷市郷土文化会誌 60』p73-77 熊谷市郷土文化会 2005.12)
- 回答プロセス
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埼玉資料のうち、埼玉の歴史、軍事施設などに関連する資料を調査する。
- 事前調査事項
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調査済み資料
『新編埼玉県史 通史編 6 近代』(埼玉県 1989)
『埼玉県行政史 2 大正元年から太平洋戦争終結まで』(埼玉県 1990)
『新編埼玉県史 資料編 22(近代・現代 4) 産業・経済』(埼玉県 1986)
『新編埼玉県史図録』(埼玉県 1993)
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 研究法.指導法.歴史教育 (207 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県の歴史 県史シリーズ 11』(山川出版社 1979)
- 『図説埼玉県の歴史』(河出書房新社 1992)
- 『あなたの知らない埼玉県の歴史 歴史新書』(洋泉社 2012)
- 『新編埼玉県史 通史編 7 現代』(埼玉県 1991)
- キーワード
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- 埼玉県-軍事工場
- 埼玉県-軍需工場
- 埼玉県-軍事施設
- 戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000161850